短編「クロウの初めてのおつかい2」


中層街にある通称「生鮮市場」に到着すると、主に食材を取り扱う様々な露店が軒を連ね、多くの買い物客で賑わっていた。

 

「ずいぶん人が多いね。何か催し物でもやっているのかい?」

「リルムは上層のお店ばっかり行くから知らないかもだけど、生鮮市場はいっつもこうだよ!ね、クロウ」

「…うん。たまに、逸れる」

「逸れるって、過去に逸れた事あるの!?」

「これは、よく気を付けて行かないとならなそうだね…」

 

昼時で客足が減っている時間の警備以外でこの市場に来たことが無かったリルムが現在の人の多さに驚いていると、普段からこの市場を使っているタナトがいつも通りだと話し、クロウもタナトと同意見だと小さく頷いた。

だがクロウが頷いた直後にこの市場で逸れる事があると口走り、タナトとリルムに戦慄が走った。

たしかに朝方と昼過ぎは多くの人で賑わう生鮮市場だが、道幅も広く人と人とがぶつかるほどごった返してはいない。

さらにクロウ自身が〈たまに〉と自覚して言っている事から、おそらく2度や3度どころでは無いのだろう。

その事を今日のクロウの様子から察した2人は、不審に思われない程度にクロウの両脇に詰め寄った。

 

「それで、ここでは何を買うんだい?」

「そういえば、買い物としか聞いてないよね。何を買うように言われたの?」

「野菜。えっと…あれ。う~んと…」

 

タナトとリルムが市場で買う物をクロウに問うと、クロウは唸りながら「あれ」と繰り返すが、肝心の名称がなかなか出てこない。

 

「クロウ、まさか何を買うのか忘れたんじゃ…」

「分かる。けど、う~ん…」

「もしかして、形等は浮かんでいるけど名前が分からない…とかかい?」

「…うん」

「えぇ~!?それじゃあ買い物できないよ!」

 

タナトが、買う物が何か忘れてしまったのかと聞くと、クロウは珍しくタナトの言葉に被せるように否定するが、相変わらず唸ってばかりで話が進まない。

そこにリルムが名前だけ出てこないのかと聞くと、クロウはゆっくりと頷き、タナトは思わぬ足止めに焦ったような声を上げた。

 

「クロウ君、形が分かるならソレを教えてくれないかい?そこから推察しよう」

「…分かった」

「クイズみたいになって来たね。頑張るぞ~!それじゃ、早速どんなヤツなのか教えてよ」

「うんと、茶色で…ゴロゴロしてて」

「な~んだ、茶色いゴロゴロって言ったらアレでしょ!」

 

リルムに言われて、クロウは自分が思っている物の情報を少しずつ口にしだした。

意外にもきちんと特徴を捉えていそうなクロウのヒントから、彼が頼まれた野菜に見当が付いたタナトは楽勝と言わんばかりに笑った。

…のだが…

 

「…あと、溶ける」

「「溶ける!?」」

 

まさかの〈溶ける〉というヒントによって、タナトとリルムは揃って聞き返して頭を抱え出した。

 

「待って待って!溶ける野菜ってなんだよ~!?リルム、分かる?」

「ちょっと待ってくれタナト君…溶ける?ゴロゴロなのに溶けるって…何か条件でも…?」

「うわぁ~、サッパリ分からないよ~!クロウ、他にヒントは…って、あれ?」

「どうしたんだい、タナト君…って…!」

 

予想外のヒントに全く答えが見えなくなったタナトとリルムはしばらく思考を巡らせて該当する野菜を探すが全く思い付かず、早々に考える事を放棄したタナトは更なるヒントを求めてクロウに声をかける。

だがタナトが振り向いた先にクロウの姿は無く、相方のリルムしか見当たらない事に気付いたタナトはすぐ様周囲を見回した。

そんなタナトの様子の変化に疑問を感じて顔を上げたリルムも、一足遅れて状況に気が付いたようだ。

 

「クロウがいない~!?」

「まさか、こんなすぐに見失うなんて…早く彼を見つけないと!」

「クロウ、どこ行ったんだよ~!」

「…なに?」

「「うわ!!??」」

 

クロウが行方不明になった事に気付いた2人が慌ててクロウを探そうと声を上げると、まさかの背後からクロウの声が聞こえ、2人揃って肩を跳ね上げた。

 

「あっ、クロウ!良かったぁ、もう逸れたのかと思っちゃったよ~!ところで、クロウが抱えてるそのモコモコ、なに?」

「…ネコ」

「その猫、どこにいたの?」

「…そこ」

「ク~ロ~ウ~…!」

 

居なくなったクロウがすぐに見つかった事に安堵したタナトは、いつの間にかクロウが抱えていた真っ白いモノに気が付いてクロウに問うと、市場の隅にいた猫だとクロウは主張した。

それを聞いたタナトは急に低く唸るような声を出しながらクロウに詰め寄った。

 

「なに勝手なことしてるんだよ~!そうやってクロウが勝手にどっかに行っちゃうから逸れたり迷子になるんじゃん!」

「…でも、もふもふ。さわる?」

「もふもふ、じゃな~い!!リルムも言ってやってよ~!」

「そうだね。勝手に離れて行かれるのは確かに困るね。ところでその猫、ずいぶんとクロウ君に懐いているんだね」

「ちょっとちょっと、リルムもちゃんとクロウを注意してよ~!」

 

クロウの勝手な行動に激怒したタナトは、まるで鬼の形相でクロウに詰め寄りながら叱りだした。

だが、当のクロウはまるで気にしていないようで、ゆっくりとした手付きで猫を撫でながらタナトにも撫でるよう勧めてくる。

これによって更に頭に血が上ったタナトはリルムにもクロウを叱るよう協力を求める。

だがしっかり者のはずのリルムまで猫に気を取られているような事を口走って収拾が付かない。

 

「リルムまでどうしちゃったのさ!?まさかリルム、クロウに毒されちゃったんじゃ…!」

「落ち着きなよタナト君。確かにクロウ君が勝手な行動を取って迷子になりかけた事は問題だ。だけど彼が連れて来たこの猫は、今の僕たちを助ける救世主を呼んでくれると思うよ」

「…ねぇリルム、本当は熱があったりとかしてない?大丈夫?」

「失礼だよタナト君。タナト君はこの猫を憶えていないのかい?」

「えぇ~、そんなの…」

 

他人の勝手な行動を咎めないばかりか猫が救世主を呼ぶだのと、普段のリルムからは想像も出来ない発言の連発に、さすがのタナトも目を見開いて驚いた。

あまりの異変に、本当にリルムがおかしくなったか病でも隠しているかと心配になったタナトは、リルムの額に自分の手を当てて彼の具合を確かめようとする。

だがリルムは物凄く不服そうな顔でタナトの手を払い除け、クロウが連れて来た猫に見覚えがあるハズだと言うので、仕方なくタナトも再度猫を凝視した。

 

「…あれ?この猫、ジル先輩ん家の!」

「そうだよ。朝方ケージを片手に歩き回る先輩も見たし、多分またこの猫を探しているんだよ。この猫を連れて先輩を見付ければ、クロウ君が頼まれた野菜が何か分かるかもしれないだろう?」

「なるほど!フェミリア隊長と一緒にクロウと任務をしてるだろうジル先輩に聞けば、クロウが忘れた野菜が何か分かるかもって事だね!しかも、猫で借りができるから協力せざるを得ないと。さっすがリルム!それじゃあ、さっそく…」

 

リルムの指摘で、クロウが抱いているのがジルの実家で飼われている猫だと分かったタナトは、やっとリルムの考えに気が付いて一気に表情を明るくさせた。

そうと分かれば善は急げとばかりに、教団へ向かうためにタナトが来た道を戻ろうと振り返った時だった。

 

「俺がどうした」

「うぎゃ~っ!せ、先輩!?」

「…あ、ジル」

「ジル先輩、お疲れ様です」

 

タイミングが良いのか悪いのか、タナトが振り返った目と鼻の先に今しがた探しに行こうとしていたジル本人が、明らかに不機嫌そうな表情で立っていた。

直前に借りがどうのと言っていたタナトは、ジルに怒られると予想して素早くリルムを盾にする様に彼の背後へと身を隠し、リルムの肩越しから恐る恐る顔を出す。

一方のリルムとクロウは、タナトの背後にジルがいた事に気付いていたのか、全く驚く事もなかったようだ。

 

「タナト、貴様はもう少し発言に気をつけろ。まったく…」

「うぅ~、スミマセンでした…」

「…ジル、ネコ。えっと、シルエット」

「シルベットだ!これで4度目だぞ!?貴様はいいかげん、モノや生物の名前をしっかり覚えろ!」

「その様子だと、先輩も相当クロウ君に手を焼いているんですね…」

 

タナトたちの前に現れたジルが呆れ顔でタナトに一言忠告をすると、リルムの背後に隠れていたタナトはさらに身を縮こまらせる。

そんな状況など全く気にしていないクロウは、ジルの実家で飼われている猫をどこか誇らしげにジルに差し出した。

その時、全く悪気はないが猫の名前を間違って口にしてしまい、そう気の長くないジルはものすごい剣幕でクロウを叱り飛ばす。

ジルの怒り様はそばで見ていただけのタナトが思わず怯えるほどなのだが、クロウは全く動じずにコテンと首を傾げるだけで、その様子を見ていたリルムは苦笑いを浮かべた。

 

「まったく…シルベットも何故こんなバカみたいな奴に懐いてしまったんだ…とにかく、シルベットを返せ」

「…取って」

「…は?」

 

クロウのマイペース具合を知っているジルは、怒りを鎮めるために大きな溜め息を吐きながら悪態をつくと猫を渡すよう催促するが、何故かクロウはジルに猫を取ってくれと言い出した。

その発言の意図が分からないジルは、クロウを見下しながら猫を引き取ろうとする。

すると猫はよほどクロウから離れたくないのか、その鋭い爪をクロウの服に食い込ませて必死にしがみ付き、全く離れようとしなかった。

 

「くっ…!シルベット、大人しく此方に来い!」

ーーゔぅ~…!ーー

「…離して」

ーー…フシャー!!ーー

「…痛い…」

「クロウ、なんで今手を出しちゃったかなぁ!?」

「…ジル、困ってたから。でも、ネコ取れた」

「貴様が血だらけになってどうする… リルム、すまないがこの馬鹿を手当てしてやってくれ」

「はい!ほらクロウ君、手当てをするから傷を見せて」

「…大丈夫」

「って言えば諦めるとでも思ったのかい?タナト君、クロウ君を抑えて!」

「了解~!クロウ、ちゃんと手当て受けなきゃダメだよ!」

「うわっ…!」

 

無理やり引き剥がそうとしてくるジルに対して明らかに嫌がって唸り声をあげる猫に、何を思ったのか、クロウは自分の服に引っかかる猫の爪を外そうと手を出してしまった。

当然気が立っている猫はクロウの手に噛みつき、今度はクロウの手にその鋭い爪を食い込ませる。

だがクロウは小さく「痛い」と呟きながら猫を抱き直し、猫が落ち着いた所でジルが持っていたケージに猫を仕舞った。

その様子に大きな溜め息をついたジルはリルムに手当てを指示する。

だがその手当てをクロウが拒否したため、リルムはタナトを使って無理やりクロウを押さえ付けると、手早く消毒をして止血用のガーゼを包帯で固定した。

 

「はい、これで終わりだよ。いくら飼い猫でも、外を出歩いてた動物に噛まれたり引っ掻かれたりすると爛れたり膿んだりしちゃうから、ちゃんと手当てをしないとダメだよ」

「…う~ん」

「用が済んだなら、俺は行くぞ」

「あ~待ってください!ジル先輩に助けて欲しい事があるんですよ~!」

 

手当てを終えたリルムは、傷のケアの大切さをクロウに説きだすが、当のクロウは包帯を巻かれた自分の手を開いたり閉じたりしながら唸るばかりで全く話を聞いていないようだ。

その様子を見て用件はもう無いと判断したジルはその場を去ろうとするが、なんとかタナトがジルの足を止める。

足を止められたジルは眉間にシワを寄せて明らかに不満そうな顔をするが、タナトたちとしては本題のクロウが頼まれたモノが何なのかがまだ全く分かっていない。

嫌でもここでジルを逃すわけには行かないのだ。

 

「…まだ何かあるのか」

「うぅ~、そんな怒らないでくださいよぉ~…」

「手間を取らせて申し訳ないのですが、クロウ君がお使いで頼まれた野菜の名前を忘れてしまったらしくて、僕らでは彼の説明を理解することも出来なくて…先輩なら彼と何度も任務を行なっているので、もしかしたら分かるのではないかと思った次第です」

「はぁ…そういう事か…」

 

初めこそ嫌そうな顔で威嚇までしていたジルだったが、リルムから本題を聞くとこれまた大きな溜め息を吐きながらリルム達の方へと向き直った。

 

「それでクロウ、貴様が探していると言うのはどんなものだ」

「う~んと。茶色で、ゴロゴロで…」

「貴様、まさかその後〈溶ける〉などと口走ったんじゃあるまいな」

「うん、溶ける」

「やはりか…」

「え、ジル先輩、なんでクロウが溶けるって言ったって分かったんですか!?」

 

クロウの話を少しだけ聞いたジルは、まだクロウが言っていないヒントを見透かした様に言い当てると、それに驚いたタナトが食いつく様にジルに問いかけた。

口には出していないが会話の流れを聞いていたリルムも驚いているようで、目を見開きながらジルを見つめていた。

 

「確かに、これを理解しろと言うのは無理があるな…答えはジャガイモだろう」

「待ってください、確かに茶色のゴロゴロした野菜ならジャガイモだろうと思いますが、〈溶ける〉とは…?」

「以前、移動中に作ったカレーのジャガイモが煮溶けた事が理解できずに騒いでいたからな。おそらくその事だろう。違うか?」

「それ、じゃが…じゃが、なんだっけ…」

「貴様の脳はニワトリ並も無いのか!?ジャガイモくらい直ぐ覚えろ!貴様、他に何か頼まれていないのだろうな!?」

「あと、に~…にぃ…?」

「形状は…!?」

「えっと、長くて、赤くて…赤?」

「赤とオレンジで迷っているならニンジンだろう!」

「それ、ニンニン」

「貴様、ふざけるのも大概にしろ!!」

「いてっ」

 

クロウがした説明の内容を理解したジルは頭を抱えるように額を抑えながら呟くと、過去のクロウの様子から即座に目的の野菜を言い当てた。

それに対してタナトとリルムは無意識のうちに「おぉ~…」と小さく歓声をあげた。

だが、当のクロウは〈ジャガイモ〉という単語が未だに覚えられないようで、痺れを切らしたジルに怒鳴られながら他に頼まれたモノも確認される事となり、ジルの予想どおりもう一つの野菜も曖昧に覚えていたクロウはさらに正確な名称を聞いても言い間違いをしてしまい、ジルの強烈な鉄拳を頭に叩き込まれた。

それでもクロウは軽く頭をさするだけで全く動じず、それがさらにジルの気に障ってしまったらしい。

 

「貴様、今この場で再教育してらやる!そこに直れ!!」

「わ~先輩!クロウがとんでもない人種なのは良~く分かりますけど、ひとまず落ち着きましょう先輩!ね、ね!?」

「本当に申し訳ありません!クロウ君には後で僕らからしっかり言い聞かせて、彼の保護者だという方たちにも直接伝えて改善させますので、今日のところはどうか…!」

「くっ…!仕方ない…お前達に免じて、今日のところは目を瞑ろう…だがお前達、ソイツを保護している兄妹も相当イカれた奴らだ。しっかり言わねば全く変わらんぞ」

「…肝に命じておきます」

「まったく…」

「…あ、待って」

 

あまりにも酷いクロウの記憶力に我慢の限界に達したジルは、珍しく場もわきまえずにクロウに掴みかかりながら説教をしようとしだした。

これにはタナトとリルムも慌てて間に入り、タナトはクロウからジルを引き剥がし、リルムはものすごい勢いでクロウの頭を押さえ付けて強制的に頭を下げさせた。

2人が間に入った事でやっと自分がいる場所が人通りの多い市場だという事を思い出したジルは、青筋を立てながらも何とか怒りを堪え、タナトとリルムにクロウの保護者である兄妹にもしっかり言い聞かせ改善させるように言い付けると猫を入れたケージを抱えて早足でその場から去っていった。

 

「行っちゃったね。それにしても、元々ちょっと怖い先輩だけど、あそこまで怒る事があるなんて知らなかったよ。先輩、絶対クロウのせいでストレス溜まりまくってるよ」

「そうかな?僕はむしろ、クロウ君は溜め込み症な先輩の怒りの吐け口になってると思うよ。むしろ、普段怒鳴り散らしたりしない分、思う存分当たれてちょうど良いんじゃないかな?クロウ君もそんなに気にしてなさそうだし」

「えぇ~、そうかな?」

「…お礼、言いそびれた」

「クロウって本っ当にマイペースだよね」

「でも、お礼を告げる事はとても大切だよ。あれだけ当たり散らされてもキチンとお礼を伝えようとするなんて、意外としっかりしてる所もあるんだね」

「…?」

 

ジルの後ろ姿を見送ったタナトとリルムは、普段見る事が無かったジルの一面に思い思いの感想を何気なく話し合いだした。

一方クロウは2人の会話を全く聞かず、ジルに礼を言いそびれたと呟いて俯いた。

その様子に気付いたタナトは呆れたように息を吐いたが、リルムはジルの言い方に惑わされず嫌な素振りも見せないでお礼までしっかり告げようとしたクロウに感心し、クロウの頭に優しく手を乗せる。

それに対してクロウは、なぜ頭を触られたのかも分かっていない様子だったが、嫌な気分はしないのか特に気にも止めず、しばらくされるがままになる。

 

「おっと、もうこんな時間だったんだね。早く買い物を終えてクロウ君をハンティス村のハイトさんという方の所に送り届けよう。早くしないと今日の辻馬車が無くなってしまう」

「うわっ、そうだった!早くしないと俺たち今日中にクロウを送り届けられないじゃん!急ぐよクロウ!!」

 

ふと今の時間が気になったリルムが手持ちの時計を確認すると、ハンティス行きの最終便が出る時間が迫っていたため、2人はクロウの手を引いて先を急いだ。

幸い野菜を売っている露店はすぐ近くにあり必要な数の野菜もすぐに買えたため、3人はなんとかハンティス行きの辻馬車に乗り込むことが出来た。

辻馬車に揺られている中、あまりにも騒ぎすぎたタナトと初めてのおつかいで疲れたクロウはお互いの肩と頭を合わせるように眠ってしまった。

それに気付いたリルムは辻馬車に備え付けられていたタオルケットを2人に掛けて微笑むと、リルムも彼らに寄り掛かるように仮眠を取った。

 

 

1時間ほど馬車に揺られていると、目的地であり終点のハンティスに着いた事を知らせる鐘がカランカランと鳴らされ、その音で3人は目を覚ました。

 

「…着いた」

「ここがハンティス村かい?けっこうな田舎みたいだけど…」

「クロウ、本当にここに住んでるの?」

「うん。あっち」

 

辻馬車を降りたタナトとリルムは、ハンティスが予想以上に田舎である事に驚き、本当にクロウや彼を保護している魔道士が住んでいるのかと不安そうな顔でクロウに尋ねる。

その問いにクロウはハッキリと頷き、買った荷物を大切そうに抱えながら2人を案内する様に先導しだした。

時折り出会う村人たちはクロウを見つけると軽く声をかけたり手を振ったりしてくるので、クロウも軽く手を振りながら村の奥へドンドン進んで行く。

それからもう少し進んでほとんどの民家を過ぎた頃、クロウたちが進む道の先の方から赤い髪の人物が此方に歩いて来るのが見えた。

その人物はクロウ達の存在に気が付くと、急ぐようにこちらに向かって走って来た。

 

「クロウさ~ん!」

「あ、フレス…!」

 

その赤い髪の人物は大きな声でクロウの名前を呼び、その人物に気が付いたクロウもその人の名を呟いて一目散に駆け寄っていく。

どうやらこの人物が、クロウが度々口にしていたフレスという人物らしい。

 

「良かった…お昼過ぎには帰って来るかと思ってたのに、全然戻って来ないから心配したんですよ!」

「ごめん、なさい…でも、買い物できた」

「本当ですか!?ありがとうございます!帰ったら確認して、すぐ夕食の支度ですね」

 

クロウの元へ駆け寄ったフレスは一向に帰って来ないクロウを相当心配していたようで、腰に手を当てて軽く頬を膨らませながらクロウを叱った。

それに対してクロウは辿々しく謝ると、それでもおつかいは達成したと持っていた買い物袋をフレスの方に差し出す。

するとフレスは、先ほどとは打って変わって嬉しそうな笑みを浮かべ、まるで子供をあやすようにクロウの頭を撫で、クロウも満更でもないようにされるがまま目を細めた。

ここまでまるでタナトとリルムの存在に気付かず忘れていそうな2人に、リルムは遠慮がちに声を掛けた。

 

「あの、すみません。貴女が彼を保護しているという、ハイトさん…でしょうか?」

「えっ?はい、そうですけど。その制服…もしかして教団の方々ですか!?すみません、彼が何か問題でも…!」

「あぁ、頭を上げてください!大した問題は無かったのでご安心を。僕達はただ、上司から彼の付き添いと自宅までの警護を任されたもので」

「そうだったんか。すみません、クロウさん驚くくらいマイペースでうっかりさんで、それでいて周りもほとんど気にしない人なので、迷惑や苦労をお掛けしましたよね…」

 

リルムがフレスに声をかけると、リルムたちが教団兵である事に気が付いたフレスはクロウが何か問題を起こしたと思い、大慌てで深く頭を下げてきた。

これにはリルムも面食らってしまい、急ぎフレスの頭を上げさせて自分たちがクロウと同行していた理由を彼女に告げ、それを聞いたフレスはホッと息を吐き出して、まるで見ていたようにリルム達の苦労を察して言い当てる。

 

「クロウってば、本当にビックリするくらいマイペースでぼけ~っとしてるから、ちょっとだけ警護が大変だったよ…」

「こらタナト君、そういう事はあまり言っちゃダメだよ!相方が無礼な事を言って申し訳ありません」

「いえ、よく言われるので気にしないでください」

 

タナトとリルムの予想に反してフレスがとても温和な性格であった事に気を抜いてしまったタナトはフレスの前でクロウの愚痴を言ってしまい、すかさずリルムに叱られ頭を下げさせられた。

それに対してフレスは、先程の失言を全く気にしていないようにニコりと微笑んだ。

 

「本当に申し訳ありません。では、僕達はこれで…」

「クロウも無事に送り届けたし、早くグリンフィールに戻ろう!」

「あの、お二人は馬か何かに乗ってきたんですか?」

「え、クロウと一緒に辻馬車で…」

「それだと、今からじゃ徒歩になっちゃいますよ!?」

「えぇ~!?」

「そんな、まさか…」

 

タナトの失言はあったが話の区切りが良いと判断したリルムは、フレスに挨拶をするとタナトと共にグリンフィールに戻る辻馬車に向かおうとする。

だが今日のグリンフィール行きはもう全て終わっているとフレスが伝えると、2人は驚きの声を上げながら再びフレスに向き直った。

 

「辻馬車がもう無いって、どういう事!?まだ最終の時間じゃないのに…」

「明日は村の特産物の納入日なので、グリンフィール行きは普段の一本前が最終なんです。だから、普段の最終便に荷物を積んで朝イチに出すんです」

「なるほど、そういう事情があったのですね…」

「そっか…う~ん、どうしよう」

 

フレスから事情がを聞いたリルムは話に納得しながらも口元に軽く拳を当てて小さく唸り、タナトも頭をポリポリと掻きながら悩み出す。

すると、それをじっと見ていたクロウがボソボソとフレスに話しかけた。

 

「フレス…送っちゃ、ダメ?」

「え、クロウさんがですか!?ダメですよ!さすがに転移魔法はまだあらぬ疑いを掛けられちゃいます」

「でも…」

「大丈夫ですよクロウさん。クロウさんを助けてくださった方たちなんですから、ちゃんとお返しをしないと!」

 

自分がタナト達をグリンフィールに送ると言い出したクロウだったが、さすがにそれはダメだとフレスに止められてしまった。

だがフレスもタナト達を見捨てるような気はさらさら無いようで、軽くクロウを説得すると頭を悩ませているタナトとリルムに話しかけた。

 

「あの、お2人とも、もし良かったら今晩は私達の家に泊まって行きませんか?もし急ぎグリンフィールに戻るのなら、兄に小型の馬車を出させますので」

「えっ、良いの!?」

「ですが、急に僕らが押し掛けたりしたら、兄上殿のご迷惑に…」

「クロウさんを助けて頂いたのに、今お2人を助けなかったらそれこそ兄に叱られちゃいます!それに、兄も賑やかなのは好きな人なので大丈夫です」

「リルムが大丈夫なら泊めてもらおうよ!なんの装備も無しに野宿は出来ないし」

「…そうだね。では、お言葉に甘えさせて頂きます」

「はい、どうぞ!家はもうちょっと先なので、付いて来てください」

「…こっち」

 

フレスが自分達の家に泊まって行かないかと提案すると、初めこそ遠慮して断ろうとしたリルムだったが、すでに泊める気満々といったフレスの態度と改めて現状を考えた結果、けっきょくタナトとリルムは一晩ハイト家に宿泊して行く事にした。

タナト達が家に来る事が決まったフレスは嬉しそうに微笑みながら夕暮れの道を先導し、クロウもクロウなりに2人を案内する。

そして一同は村の最奥、ヴァンガルトの目と鼻の先にある他の民家よりは大きな掘立小屋までやって来た。

 

「あれが私たちの住んでいる家です。玄関は2階にあるので、階段を登らないとならないんですが…」

「どうしたの?俺たち、階段くらい全然平気だよ!」

「いえ、そういう事ではないんですけど…」

 

フレスはこの掘立小屋が自宅だと話し、入り口は階段の上である事を説明するが、なぜかここに来て不安そうに言葉が小さくなっていく。

フレスの様子から、家の造りとして仕方がなかったとは言え客人に階段を登らせる事に抵抗があるのかと思ったタナトは笑って平気だと伝えるが、どうやらそういう事ではないらしい。

 

「あの~、申し訳ないのですが…玄関を開ける時、私達の2メートルくらい後ろにいてもらって良いですか?多分、知らないと怪我をさせてしまうかも知れないので…」

「えっ、それってどういう…??」

「理由は全く分からないけど、彼女の指示に従おうタナト君。えぇと、僕らは少し離れたところで待っていれば良いのですね」

「はい、すみません…」

 

話を聞くに、慣れない人がこの家の玄関を開けると危険らしいが、理由が皆目見当が着かないタナトとリルムは頭に疑問符を浮かべる。

だが家主のフレスがわざわざ説明するのだから従った方が良いと判断したリルムは、自分達が取る行動をフレスに確認する。

するとフレスはさらに申し訳なさそうに謝りながら頷くと、クロウと共に先に階段を上って、何故か玄関と思われる扉の脇に立て掛けられていた杖をしっかりと握り締めた。

そしてタナトとリルムが安全と思われる距離を取っている事を確認して、ひとつ大きく深呼吸をしてクロウの方へと視線を向けた時だった。

 

ーーバン!!ーー

「クロウ、テメェどこほっつき歩いてやがった~!!?」

「っうわ…!」

「クロウさんを虐めないっの!!」

「ゴフッ…!!」

「「えっ、す、スタナ(君)~!?」」

「えっ、兄の事…ご存知なんですか!?」

 

気配でフレスとクロウが玄関前にいた事に気付いていたフレスの兄スタナが、勢い良く扉を開け放ってクロウを羽交い締めにしようと組み付いて来た。

それを見越していたフレスは握り締めていた杖を大きく振り上げ、全く遠慮も手加減もなくスタナを殴りつけ、それをモロにくらったスタナは後頭部を抑えながらその場にしゃがみ込む。

少し離れた場所でこの光景を見ていたタナトとリルムは、まさか自分達が新人の教団兵だった時に知り合っていたスタナがクロウを保護している魔道士兄妹の兄だなどと思っていなかった事と、ある意味予想外な目の前の出来事に口を揃えてスタナの名を疑問形で呼び、目を白黒させた。

そこで初めてクロウの恩人である2人がスタナと知り合いだと言う事を知ったフレスは、今更隠せなどしないのに急ぎスタナを殴った杖を背後に隠した。

 

「えぇ~と、その…これには…!」

「あぁ、大丈夫だよフレスちゃん。俺たちスタナのシスコン具合はよく知ってるつもりだし」

「おそらくフレス嬢は、スタナ君が自分かクロウ君に飛び付いてくると予測して、僕たちを巻き込まないよう取り計らってくださったのでしょう。杖を使うのも、スタナ君が相手では素手のフレス嬢では太刀打ち出来ないであろう事も容易に想像が付きます」

「スタナ、妹のフレスちゃん困らせちゃダメじゃん!だからフレスちゃんが厳しい態度取っちゃうんだよ~」

「タナトもリルムも、久々に会ったってのにひどくねぇか!?」

「「だってスタナ(君)が悪いんじゃん(じゃないか)」」

「うっ…痛てぇところ突くな…」

 

スタナと面識の無い人なら、いきなり他人に飛び付くような相手なのだから杖を使うのも納得して貰えるだろう。

そう思っていたフレスだったが、2人がスタナと面識があったとなるとあらぬ誤解で酷い妹だと思われたと想像したフレスは、少々しどろもどろになりながら急ぎ弁解の言葉を探しだした。

だがタナトとリルムはスタナの異常なシスコン具合も知っていたようで、揃ってフレスの味方をして反論しようとするスタナをピシャリと言い伏せる。

これにはスタナも返す言葉が無くなり、壁に手を付きながら視線を逸らした。

 

「でも、まさかスタナの妹ちゃんがこんなにマトモで良い子だとは思わなかったよ」

「同感だね。フレス嬢には申し訳ないですが、スタナ君と同じような性格かと思っていたし…」

「フレスはしっかり者で何処に出しても自慢できるくらい良い妹だっつっただろ!?」

「スタナの妹愛がすご過ぎて盛ってるようにしか聞こえなかったんだから仕方ないでしょ!それにしても、スタナとフレスちゃん髪も目も全然色が違うから、話さないと兄妹って分からないよね。髪だけ見たら、リルムの妹って言われた方がしっくり…」

「んだとタナト!?もっぺん言ってみろ!!」

「うわ~!スタナ、ギブ!痛い痛い!!」

「ちょっとスタナ!」

「大丈夫ですよ、あれでじゃれ合ってるだけですから。それに、ちょっと失言の多いタナト君には良い薬になるので」

「え、でも…」

 

タナトが、フレスが自分の予想よりも遥かに普通で優しい女性だったと口にすると、リルムも大きく頷いて同意する。

それを聞いたスタナは嘘など言ってなかったと豪語するが、タナトもリルムもスタナのシスコン度合いが酷いからと、少々フレスのイメージを補正していたらしい。

そこまでは良かったのだが、タナトがフレスとスタナが似ていないと言った後、リルムの方がフレスの兄のようだと口走ったため、一瞬で頭にきたスタナがタナトに絞技を掛ける。

これにはフレスも兄を止めようと動き出すが、タナトにはアレくらいでちょうど良いと言わんばかりにリルムに止められた。

それでもスタナを止めようとフレスが動き出した時だった。

 

ー…ぐ~…ー

「…おなか、すいた」

「あぁ、そういえば僕たち昼食も取っていなかったね」

「そうだったんですか!?そんな事とは知らず、無駄な時間を取らせてすみません!すぐ夕食を作りますね!どうぞ、中にあがってください」

 

クロウの腹の虫が辺りに鳴り響き、それによってリルムも昼食を食べていなかった事を思い出した。

そんな事とは全く知らなかったフレスは、慌てて頭を下げて彼らを家の中に案内した。

 

「スタナ!いつまでもタナトさんを虐めてないで、急いでこの方たちの寝る部屋を用意して!」

「なんだ、お前ら泊まってくのか!それならそうと早く言ってくれりゃあ…」

「スタナがクロウさんやタナトさんに飛び付いて時間取ったからでしょ!」

「うっ…ご、ごめん…」

「や…やっと解放された…」

 

フレスの制止で我に帰ったスタナは、そこで初めてタナトとリルムが泊まることを知ると軽口を言いかけたが、フレスの的確な指摘によって一気にへこんでしまう。

スタナがへこんだ事でやっと解放されたタナトは這うようにスタナから離れると、息を整えながらその場で伸びてしまった。

 

「だ、大丈夫ですか!?クロウさん、タナトさんに手を貸してお二人をリビングに案内してあげえください!私は夕食を作りますから」

「…うん」

「それなら、僕らも何かお手伝いを…」

「やめてくれリルム…メシはフレスに任せんのが1番だし、客に手伝わせたら俺にフレスのブロウエッジが飛んで来っから…」

「そういう事なら食事ができるまで休ませてもらうけど、フレス嬢が怒るのは君がすぐ他人に絡んで行くからじゃないかな?」

 

タナトが玄関前で伸びてしまった事に気付いたフレスは、急ぎクロウにタナトを介抱するように指示を出すと、クロウも小さく返事を返しながらコクリと頷いた。

それを確認したフレスは夕食を作ると一言告げると、クロウが買って来た荷物を抱えて大急ぎでキッチンの方へと走って行く。

あまりのフレスの慌ただしさから、リルムは自分も何か手伝おうとした。

だがスタナはその申し出を断り、リルムも大人しくリビングで休ませてもらう事にした。

一方で完全に伸びてしまったタナトは、クロウに半ば引きずられるようにリビングへ連れて行かれ、そのまま夕食ができるまでハイト家のリビングの床で熟睡していた。

 

それから夕食を食べてスタナたちと談笑したタナトとリルムは、スタナが用意した部屋で一晩過ごし、フレスとスタナの好意で昼まで滞在して、夕方の辻馬車で無事グリンフィールへと帰って行った。

 

 

 

 

 

おまけ(夕食編)

フレス「お待たせしました!クロウさんのリクエストで、今日はシチューです」

リルム「シチュー…ですか」

フレス「もしかしてリルムさん、シチュー苦手だったんですか!?すみません、すぐ違うものを…!」

リルム「い、いや…食べれない訳ではないですから!お気になさらず」

タナト「リルム、ムリしない方が…」

リルム「大丈夫だって言っているだろう!…大丈夫さ、シチューくらい…シチューくらい…!」

スタナ「…リルム、マジでヤベェなら無理すんなよ」

リルム「君たち、人を馬鹿にしないでくれるかな!大丈夫だと言っているだろう!いただきます…!はぐ…むっ!!」

タナト「あぁ~ちょっとリルム!前に戻した事あるんだからムリだって!」

フレス「えっ、それはダメですよ!!今、お茶と袋を…!」

リルム「…美味しい」

タナト「へ?」

リルム「このシチュー、牛臭さが全くないなんて…!野菜は素材の味を残しつつもしっかりとルウに馴染んでいるし、この肉も!ビーフでもポークでもない事は明白なのに、程よい弾力と旨味が口いっぱいに広がってくる…!これは一体…!?」

タナト「えぇ~!!リルム、大丈夫!?あまりにもシチューが嫌いで壊れちゃった!?」

リルム「失敬な!!」