第5話「旅立ち」


 

スタナが仕事に出てからもう2週間以上がたった。

彼の話では1週間も掛からないとのことだったが、10日が過ぎても手紙さえ来ない。 

遠征が長引く事は当たり前のようにあることだが、教団やギルドといった大きな組織の場合は何かあれば身内にはすぐ連絡がくるようになっているというのにそれすらもない。

  

「…大丈夫、きっともうすぐに帰って…あっ!」  

 

彼の心配をするあまりに注意力が散漫になっていたようで、昔スタナが私の誕生日にくれた愛用のカップを落としてしまった。 

落ちたカップはガシャンと高い音をたてて粉々に割れてしまい、いくら欠片を集めてももう元には戻らない。 

この壊れたカップのように、彼も何処かでボロボロになって帰れずにいるのではないか。

もしかしたら、すでに帰らぬ人となってしまっているのではないか。

一度頭をよぎった不安はどんどんと膨らんでいき、最悪の結果をいくつも連想させて私の心を深くえぐっていく。

 

「そんな事、絶対ない…!だって、今までだって…」 

 

そして不安が襲い来るたびに、念をかけるように彼は無事だと口に出してなんとか気持ちを押さえつけていた。  

そんなとき、ふと玄関の扉を叩く音が室内に響き渡り、私は反射的に玄関へと駆け出して勢いよく扉を開いた。

 

「スタナ!?」  

「スタナじゃないわ。それにしても、まだ帰ってないのね」

「あ、レオナ…」

 

スタナが帰って来たのではと思っていた私は、そこにいた人物がレオナだと知ってつい語気を下げてしまう。

 

「フレス、大丈夫なの?来るたびに顔色が悪くなってるわ」  

「…だ、大丈夫よ。それより、立ち話もなんだし、中に入って」

 

私の顔色をみたレオナが少し心配そうに声をかけてくれたが、彼女にまで心配をかけたくなかった私は平然を装いながら彼女に中に入るように諭して話をそらした。 

リビングに入ると、レオナはいつの間にか彼女の定位置となった一番出入り口に近い席に腰を下ろし、私も飲み物とお菓子を用意して彼女の斜め向かいの席に腰を下ろした。

 

「フレスのカップ、今日は違うのね。気に入ってたんじゃないの?」 

「ちょっと、今朝落として割っちゃって…」

「そう…」

 

私がいつもと違うカップを使っていることに気付いたレオナが話をふってくれたのだが、このころの私は頻繁に遊びに来てくれてるレオナにさえも一言か二言くらいしか返事を返せなくなっていた。

そして、お互いに言葉が出ず、小鳥のさえずりと私たちが飲み物をすする音だけが静かに響いていた。

しばらく沈黙が続いたが、ふとレオナが真剣そうな眼差しを私に向けて口を開いた。

 

「ねぇ、フレスはスタナの事心配?」 

「それは、もちろん心配よ…!心配だけど…」

「手がかりも何も分からないの?」

「…うん」

 

自分の心中を直接突くようなレオナの言葉に動揺し、つい語気を荒くしてしまった。 

正直なところ、心配しすぎて普段やっている事すら覚束無くなっている始末だ。

せめて、彼の明確な安否情報だけでもほしいところだが、完全に行方をくらましているようでそれすらも叶わない。

そう思ったら、また良くない不安ばかりが頭を埋め尽くし、涙まで出てきてしまった。

 

「落ち着いてフレス。スタナの事だけど、一度オリに相談してみたらどう?」 

「…オリ君に?」

 

こんな私を心配して提案してくれているでろう事はすぐに分かった。 

だが、なぜオリ君が話題に出て来たのかがさっぱり分からない私は、ゆっくり首をかしげる。

 

「なんで、オリ君に?」 

「オリはあちこちにいる吸血鬼たちを定期的に見回っていて、地方の事もよく知ってるの。スタナはあれだけおかしな性格だから、なにかしら噂になっていればオリの耳に届いてるかも」

「本当に!?」

 

話を聞いた私は、すがるように彼女の左手を手に取った。 

そういえばレオナを預かる話をした時、オリ君自身も地方の様子見をしていると言っていた気がする。

 

「気になるなら、すぐにでも行きましょう。オリなら今日はずっと城にいるはずだから」 

「分かった、すぐ支度するわね」

 

話がまとまると、私たちは善は急げとばかりにヴァンガルト城へと向かった。

 

 

勢いのままヴァンガルト城の前までやってきた。 

だが、城の入り口が目に入ると私の足は次第に勢いをなくし、扉の数十メートル手前で完全に歩みが止まってしまった。

以前ここに来た時に襲われた事がトラウマになっているのか、早くオリ君に会いたいという思いとは裏腹になかなか一歩を踏み出せない。

 

「どうしたの、オリに会いに行かないの?」 

「行きたい、けど…」

 

レオナにも諭されるが、やはり一歩が踏み出せなかった。 

以前この城の主であるオリ君の客人として来たにも関わらず、ハンクさんに酷い目に遭わされたのだ。 

オリ君には会って話を聞きたいが、何のコンタクトもなしに中に入ったら今度こそ殺されてしまうのではと思うと足がすくんでしまう。

 

「フレス、怖いならまた今度出直す?」 

「…いいえ、ここまで来たんだもの。行くわ」

  

レオナに一度引き返す事を提案されたが、どうしても兄の行方の手がかりを聞きたかった私はその提案を拒み、一度大きく深呼吸をするとゆっくりと歩みを進めた。 

私の様子を見たレオナは、私の歩調に合わせて半歩ほど前をゆっくりと先導してくれた。

そして、一歩先に入り口の前に立ったレオナが扉に手をかける。

だが、彼女が扉を開く前に彼女が手を掛けていなかった方の扉がゆっくりと開き、その向こうからひょっこりとオリ君が顔を出した。

 

「やぁレオナ、今日はずいぶん早く帰って来たんだね。フレスさんも、また来てくれたんだね。なかなか二人が入って来ないから迎えに来ちゃったよ」 

「オリ、フレスがオリに聞きたい事があるって」

「僕に?それなら、談話室に行こうか」

 

わざわざ迎えに出てきてくれたオリ君にレオナがそう告げると、彼はチラリと私の顔色をうかがってから談話室に案内してくれた。 

談話室には大きな暖炉があり、その手前に少人数用の机とサイズの異なる革張りのソファが設置されていた。

私はその中で仕切りのない三人掛けのソファに座るようオリ君に勧められ、椅子の端の方に少々縮こまるように腰を下ろした。

 

「ごめんね。ちょうど茶葉を切らしちゃっててお茶も出せないけど、せめて自由な体制で楽に座って。珍しくハンクは外に出てるから、怖がらなくても大丈夫だよ」 

「あ、ありがとう。でも、今はこれが落ち着くの…」

 

私が妙に緊張していることを見抜いたオリ君が今は城内にハンクさんがいない事を教えてくれて、いくらか緊張の糸が解けていくのが自分でもよく分かった。 

だがスタナへの不安からゆっくりとくつろぐ気になれなかった私は、ぎこちない笑みを作ってお礼の言葉だけを口にした。

その後はお互い口をつぐんだまま、室内は静寂に包まれてしまった。

座ってからすぐに話を切り出せばよかったのだが、話をしようとすると言葉がまとまらず話を切り出せない。

そして早く切り出さねばと思うほどに焦りが生まれ、さらに話がまとまらないという悪循環にはまりなかなか抜け出せない。

オリ君とレオナも私が話を切り出すのを待つようにじっと私をみつめていたが、私が切り出すより先にオリ君が口を開いた。

 

「あれからずっとスタナさんが帰ってないらしいね」 

「そうなの。一週間で戻るって言ってたのに、連絡も何もなくて…」

「そっか。それは心配だね」

「それで、地方によく行くオリ君なら何か知ってるかもって、レオナが教えてくれて…」

「なるほど。それでわざわざここまで来てくれたんだね」

 

オリ君がスタナについて切り出してくれた事で、それに乗っかるように少しずつ今の状態や気持ちを話し、オリ君は相槌をうちながら静かにゆっくりと私の話を聞いてくれた。 

そして一通り話を聞き終えたオリ君は片手を顎にあてて何やら考えているようなそぶりを見せてから、私の顔を真っすぐ見据えて話だす。

 

「フレスさんが言いたい事はよく分かったよ。でも、残念ながらスタナさんらしき人間の話は聞いてないな」

「そう…そうよね。大きな集団の噂ならともかく1人の人間の噂なんて、相当有名な人でもないかぎり聞かないわよね」

 

ほんの些細な情報でも聞ければと思っていたが、いくら地方に行くことが多々あるオリ君でもそれらしき話は聞いたことがないようで、話を聞いた私はなんの情報もつかめなかった事に肩を落としてしまう。 

考えてみれば魔物と人間では生活圏も全く異なるのだから、そうそう噂になどならないだろう。

だが順を追ってオリ君に話をしたことで様々な感情が整理され、だいぶ気持ちに余裕が出てきた。

 

「急に押しかけて来たのに、話を聞いてくれてありがとうオリ君。レオナも、心配かけてごめんね」 

「フレスさん、来た時よりずっといい顔になったね。それで、これからどうするんだい?」

「…そうね、ずっと待っていてもなんの音沙汰も無かったし、スタナを探しに行くわ!もう待ち疲れたもの」

 

情報は無かったが二人のおかげで気持ちが晴れた事にお礼を言うと、二人とも微笑み返してくれてた。 

そのあとオリ君から今後の事について聞かれ、あの家で待つことも少し考えたがスタナを探しに行くことを決め、その決意を二人の前で宣言した。

私の返答を聞いたオリ君は小さく頷いていたが、彼の隣に座っていたレオナは少し寂しそうな顔をしていた。

レオナがそんな顔をしたのは、おそらく彼女を預かるという名目のお茶会が出来なくなるからだろう。

ハンクさんから逃げるように遊びに来ていたであろうレオナには申し訳ないが、今の私には行方の知れないスタナの方が優先だ。

仕方ない事だと分かってもらうしかない。

そう思っていたのだが…

 

「そうか…じゃあ、フレスさんはしばらくスタナさんを探す旅にでるんだね。でも、若い女性が一人で当てもない旅をするのは危険だろうし、僕とレオナも付いて行っていいかい?」 

「え…?ええぇえ!?」

「う~ん、スタナさんを探しながら小旅行するみたいで楽しいかと思ったんだけどダメかな?僕もレオナも自分の身を守るくらいはできるし、大抵の魔物の事は知ってるから町の外も安心して旅ができるだろうから、フレスさんにとっても悪い話ではないと思ってるんだけど」

 

オリ君が相も変らぬ無邪気な笑顔で私が全く想像もしなかった提案を持ちかけてきたため、つい変な声をあげてしまった。 

だがそんな私の反応など気にも留めていない様子でニコニコと笑い、挙句旅行みたいだと言い出すのだから、開いた口がなかなか塞がらない。

そういえば先ほどからオリ君ばかりが話しているが、城に来てから一言も口を開いていないレオナはどう思っているのだろうか。

そう考えた私が彼女の表情を伺うと、彼女も一瞬目を見開いて驚いていたが、すぐにいつもの表情に戻り「オリとなら行く」と言って肯定してしまう。

 

「え、あの…確かに二人が来てくれたらとても嬉しいわ。でもスタナを探すって事は、たくさんの人間の集落に立ち寄る事になるのよ?」 

「大丈夫だよ。スタナさんには何故かバレたけど、レオナは尻尾でも出さない限りは人間とそう変わらないし、僕もフードを被って極力顔を見せないようにすればバレないさ」

 

私は至極真っ当な理由を言ったつもりだったが、それについてはあっさりと対策を言い返されてしまい、そのうえ上目遣いで懇願されてつい二人が付いてくる事を了承してしまった。 

するとオリ君は満面の笑みを見せながら「じゃあ、急いで支度をしないと」と言ってレオナと共に談話室から出て行ってしまい、私はひとり部屋に取り残されてしまった。

二人がどのくらいで戻ってくるかも分からないうえに、万が一にでも帰って来たハンクさんと1人で遭遇したくないと思った私は、たまたまポケットに入っていた紙にメモを書き残して家に戻り、旅の支度を整える事にした。

 

 

家に戻るとすぐにお金や日持ちの利く食材、軽調理用の小型ナイフや小鍋などといった旅に必要なものを背中のポーチに仕舞っていく。

あらかたまとめ終えた頃、玄関からノック音が聞こえたかと思うと私の返事も待たずに「お邪魔するよ」と言ってオリ君とレオナが部屋の中に入って来た。

レオナはいつも通りの服装だったが、オリ君の方は濃い緑色の大きなフードを髪と耳を隠すように深くかぶっていた。

 

「いたいた。ちょっと支度をして戻ったらもぬけの殻でびっくりしちゃったよ。レオナがメモに気付いてくれなかったら、無駄にハンクをとっちめるところだったんだよ」 

「あぁ、ごめんなさい。私もいろいろと支度をしたくて」

 

どうやらオリ君は私が書いたメモに気が付かなかったようで、私が消えたのはハンクさんのせいだと思い危うく以前のようにハンクさんをぶっ飛ばすところだったらしい。 

私も帰ってから、二人が私のメモに気付いてくれたか気になっていたが、無事にレオナが見つけてくれたおかげでハンクさんも濡れ衣を着せられずに済んだようだ。

私が書置きを残して勝手に城を後にしたせいでとんでもない事になりかけたと知り、私は内心で深く反省した。

 

「ところでフレス、支度は終わったの?」

「もうちょっと待って。あと薬と杖磨きで全部だから」

 

レオナの問いかけに答えると急いで残りの薬や磨き薬をポーチに押し込み、三人でハンティス村の街道近くにある馬小屋へと向かった。

馬小屋の前ではちょうどご主人が馬たちに餌を与えていたようで、私たちに気付くとにこりと笑いながら手を振ってくれた。

 

「やあフレスちゃん、兄貴が帰らなくて落ち込んでたらしいけど大丈夫かい?」 

「そのことでお願いがあるのですが、これから兄を探しに行こうと思うので馬を借りれませんか?」

「あぁ、そりゃ構わないけど…そっちの二人は?」

 

そういうと馬小屋の主人は、私の後ろに隠れるように立つオリ君とレオナを不思議そうにみつめてくる。 

すると私の背後から、おそらくレオナであろう小さな唸り声が聞こえてきた。

旅立ち早々のピンチで、私の背中を冷たいものが伝っていく。

なんとか言いくるめなければと内心焦りながら言葉を探していると、ふとオリ君が小さく唸りながら私の腕に顔をうずめるようにしがみついてきた。

  

「えぇっと…この子たちのご両親から、協会の地方巡礼に行っている間のお世話を頼まれていたんです。今日あたり戻られると聞いていたので、兄を探しに出るついでに二人を家まで送り届けようかと思いまして。すみません、二人とも人見知りで、慣れてない人の前に立つといつもこうなるらしくて」 

「なるほどな。なら、コイツに乗っていきな。コイツは頭も良いし、フレスちゃんも兄貴と何度も乗った事あるから平気だろ」 

 

オリ君のサポートのおかげでなんとか馬小屋の主人に納得してもらえたようで、主人は一匹の馬を小屋から出し二人が乗れるようにその背中に小さな荷車までくけてくれた。

優しい主人にお礼を言うと、オリ君とレオナを荷車に乗せて馬を走らせる。

すると背後から「村の皆も心配してんだ。スタナを見つけたら、おじさん達の分も全力で殴っとけよ~」と言われ、片腕を大きく振り上げて答えた。 

 

「はぁ…なんとか怪しまれずに抜けられたわね」 

「そうだね。一時はどうなるかと思ったけど、最終的には荷車まで貸してもらえてラッキーだったよ」

 

ハンティス村の影が見えなくなったところでやっと緊張の糸が解け、私は大きなため息と共に安堵の言葉をこぼし、それに相槌をうつようにオリ君が楽しそうな声で返してきた。

振り返って二人の様子を伺うと、オリ君はすでにフードを脱いで気持ちよさそうに風をあびており、レオナは初めて馬に乗ったのか、落ち着かない様子でしきりに辺りを見回していた。

 

「ところでフレスさん、スタナさんを探す当てはあるのかい」 

「えぇ、人間の首都グリンフィールに行くわ。あそこには、スタナに仕事を依頼した人が住んでるの。日暮れ前に着くように馬を飛ばしていくから、しっかり掴まってて」

 

オリ君の質問に答えながら二人に軽く注意を促すと、手綱を大きく振って馬を全力で走らせた。 

私の後ろからは、レオナの小さな悲鳴とオリ君の楽しそうな笑い声が響いていた。

これが、人間である私と魔物たちとの世にも奇妙な旅の始まりであった。