第3話「歓迎」


 

城内に入ると、真っ赤な絨毯とジンプルながら豪華なシャンデリアが私たちを出迎えた。
正面には大きくて立派な大階段があり、階段の隅には真っ赤なソファーがそっと置いてある。
外観もそうだが、薄暗いところ以外はまるで貴族のお屋敷のようで、ここが魔物の住処だとはとても思えない。

「すげぇ、本当に城みたいだな。このソファーなんか、メチャクチャふわふわだし・・・」
「スタナ、勝手に人様の家のモノに触っちゃダメよ」

そう呟きながらスタナは、ソファーを両手で無造作に撫でたり少し押し込んだりしてその手触りを楽しんでいる。
私は、まるで子供のような行動をとるスタナをため息交じりに注意したが、全く聞こえていないのかソファーから離れようとしない。
そんな彼の様子を見ていたルシャさんは何を思ったのか、口元に怪しい笑みを浮かべてそっとスタナの背後に歩み寄り、彼の頬をスッと撫で上げた。

「あら、ずいぶん好奇心旺盛なお兄さんなのね」
「ぎゃあ~!?急に触るなよ!」
「あら、ごめんなさいね。お兄さんがあまりにも可愛いかったから、つい…ね?」

不意に頬を撫でられたスタナは、大声をあげながら彼女を避けるように壁際まで逃げだした。
肩を上下させている様子から、相当驚いたらしい。

「ヒャ~ハハ!ちょっと頬撫でられたくれェで声裏返えらせて、みっともねェなァ!」
「うっ…うるせぇ、この変態上裸ヤロウ!!」
「アァ!?誰が変態上裸だ、このクソチビ!」

そんな彼を見たハンクさんがからかうように茶々を入れ、あれやこれやと言い合いを始めてしまった。
私は二人が言い合いをしているさまを見て、また襲われるのではないかと肝を冷やした。
だが、私の横に立っているレオナは表情ひとつ変えずに二人を眺め、オリ君とルシャさんに至ってはどこか微笑ましそうに笑っていた。

 

 

 

「うふふ、二人とも子供みたいね」
「子供と言うより、犬じゃないかな。ハンクは狂犬で、スタナさんはフレスさんの忠犬っぽいし」
「あら、それならハンクは駄犬じゃないかしら」
「「誰が忠犬(駄犬)だ!!」」

ハンクさんと一緒に暮らしている三人にとってはこのくらいの騒ぎはどうということもないのかと思ったが、オリ君とルシャさんはあろうことかスタナとハンクさんの事を犬扱いしだし、それを聞いたスタナとハンクさんは揃って声をあげ、またお互いに睨み合う。
あのハンクさんを犬扱いしてしまうなんて、私だったら口にした瞬間に殺されそうなほど恐ろしい事を二人はよく平気で言えるものだ。

「さてと、そろそろ移動しようか。ハンクも、そんなにはしゃがなくてもまた夕食の時にたくさん話せるんだから、そのくらいにしときなよ」
「アァ?この俺様がこんなヤツらが来たくれェで喜ぶかよ!・・・付き合ってられっかってんダ」

そう言うとハンクさんは、ホールの右側の通路の先へと消えてしまった。

「まったく…躾のなってないハンクは放っておいて、まずは今日二人が使う部屋に行こうか」

オリ君は、先ほどハンクさんが去って行った方を見ながら呆れたように肩をすくめたが、すぐさま私たちに向き直ってそう言うと、中央の大階段を左に進んでいく。
私は未だにハンクさんが去った方を睨み付けているスタナをなだめつつ、先を歩くオリ君の後を追った。

 

階段を上ってすぐの通路を突き当りまで進み、たくさんの扉が並ぶ中の一室の前でオリ君は足を止めた。

「二人とも、今日はこの部屋を使って」

そう言いながらオリ君が部屋の扉を開くと、大きな二つのベッドと豪華なシャンデリア、そしてシンプルなアンティークの机と椅子が目に入る。
シックで落ち着いた装いの部屋だが、家具やシャンデリアには明らかにホコリが溜まっていて、部屋のあちこちには蜘蛛の巣が張り巡らされていて、私たち兄妹はそんな部屋の光景に唖然としてしまう。

「うわ…すげぇホコリだな…」
「あの、みんなこんな部屋で生活しているの…?」
「よく使うところはもう少しきれいだけど、ここには僕たち四人しかいないからね。おまけに他人が泊まることなんて何年もなかったから、手入れが行き届かなくて」

オリ君はなんでも無さそうに笑いながら答えたが、一歩部屋に足を踏み入れただけでホコリが舞い上がり、息をするのもままならないほど汚れていた。
おそらく、最後に使われてから全く掃除ができていなかったのだろう。
現状に耐えかねた私は、息を止めながら室内を一気に走り抜け、勢いよく窓を開け放った。

「スタナ、大掃除よ!!」
「ちょっと待てフレス!フレスはさっきハンクの奴に蹴り飛ばされたばっかだし、少し休んでからの方がいいだろ。せめて、もう少しマシな部屋にしてもらうとか…」
「部屋はあるけど、多分ここが一番キレイだと思うよ」

私の言動に驚いたスタナは助けを求めるように部屋変えを提案したが、あっさりと否定され頭を抱えだしてしまった。
こんな部屋にいては身体に悪そうだし、どのみちこのままでは休むことも出来ないらしい。

 

 

 

「ほらスタナ、部屋を貸してもらうんだし、使う前よりキレイにするのが礼儀って言うじゃない。早く終わらせましょ」
「はぁ…仕方ねぇな。こうなったらさっさと片付けちまうか」

明らかに嫌そうな顔をしていたスタナだったが、私が説得すると彼も渋々了承してくれた。

「さすがに二人だけで掃除をするのは大変だろうし、レオナは二人を手伝ってあげて。夕食ができたらまた呼びにくるから、あとはよろしくね」

それだけ言い残すと、オリ君はルシャさんを連れてどこかへ行ってしまった。
レオナは、二人が見えなくなるまでジッとその後ろ姿を見つめていた。
そんなレオナの瞳はどこか寂しそうな印象がしたが、二人が見えなくなるとスッと踵を返すように私たちのもとへ歩み寄り、口を開いた。

「それで、私はどこからやればいいの?」
「それじゃあ、私と布団の埃取りをお願い。スタナは一番背が高いから天井をお願いね」
「分かったわ」

私の指示を聞いたレオナは、即座に布団をバルコニーへと運び出した。

「俺一人でこれ全部落とすのか…」
「お願い!高いところは私たちじゃ上手くできないから、スタナが頼みの綱なの」
「そ、そうだよな!女の子がこれをやるのは大変だし、フレスのためにもしっかりやらねぇとな!!」

そんな彼女とは対照的に、スタナの方はなかなかやる気を出してくれなかったが、私が顔の前で手を合わせながら頼むと途端にやる気を出し、テキパキと天井の埃や蜘蛛の巣を落とし始めた。
その光景を次の布団を運びに戻ったレオナに見られ、明らかに引いた目で睨まれてしまった。
そんな目で見られたらなんだか恥ずかしくなってきたが、やる気を出さないスタナにはこれが一番簡単で有効な策なのだから仕方がないと自分に言い聞かせながら、私も掃除を開始した。

 

 

 

 

 

掃除を終えるころにはすっかり日も暮れてしまい、辺りは真っ暗な闇に包まれていた。
掃除が終わった室内はホコリひとつ無く、私たちが入った時とは違う部屋ではないかと思えるくらいキレイになった。

「うあ~、やっと終わった」
「これだけキレイになれば、しばらくは簡単な手入れだけでも済みそうね」
「今度は私たちがホコリまみれね。二人ともお風呂に案内するわ」

そう言うと彼女は、私たちを城内の<大浴場>と書かれた扉の前に案内してくれた。
扉を開けて脱衣場を抜けると、石で組まれた広い浴槽と噴水のように湧き出すお湯が目を引いた。
よく見ると、浴槽の一部の壁面から勢いよく泡が噴出していたり、湯船の底から細かい気泡がポコポコと湧き上がったりしている。
とくに騒がしい音はしなかったが、すぐ隣の男湯に入っているスタナは、きっと川遊びにでも行ったみたいにはしゃいでいる事だろう。
さすがに昨日会ったばかりの彼女と一緒に入ることは出来なかったが、こんなに贅沢なお風呂に入るのは初めてで、とても楽しい経験をさせてもらった。

「はぁ、こんなに気持ちいい入浴なんて初めてだったわ!ありがとうレオナ」
「別に、汚れたらお風呂に入るだろうと思っただけよ」
「あら、やっぱりここにいたのね。部屋にいなかったからきっとここだと思ったわ」

入浴も終えた私たちが部屋に戻ろうとした時、夕食が出来たことを知らせに来てくれたルシャさんと鉢合わせした。
どうやら部屋にいなかった私たちをわざわざ探しに来てくれたようで、そのまま私たちは城の一階にあるという大広間へ向かうこととなった。

 

 

 

 

 

ルシャさんに連れられて、玄関ホールを通り抜けた先に見えた大きな扉をくぐり抜ける。
するとそこには、たくさんの蝋燭でぼんやりと照らされた広い部屋の中央に白いテーブルクロスのかかった大きな長机が置いてあり、その上にはこれでもかというくらい豪勢な料理がいくつも並んでいた。
部屋の汚れはともかく、案内された部屋や大浴場の様子からかなり優雅な生活をしているのだろうとは予想していた。
だが、その予想を遥かに超えた光景に私たち兄妹は揃って入り口で立ち止まり、互いに目を合わせた。

「スタナ、私…会食の時のテーブルマナーなんて知らないんだけど…」
「俺もそんなの知らねぇよ…」
「二人ともそんな所に立ってないで適当に座って」

すると、一番奥に座っていたオリ君に声をかけられながら手招きをされた。
いつの間にかレオナはなんでもないといった顔で適当な席に腰を下ろしており、私たちも彼女に倣って席に着いた。
あまりの緊張からつい強張ってしまい、私は気を紛らわすように辺りを見回す。
その時、ふと人数が一人足りないことに気が付いた。

「フレスさんとスタナさんも来たことだし、食べようか」
「ねえオリ君、ハンクさんがまだ来ていないと思うんだけど…」
「あぁ、今日は一人で食べるんだって。まったく、客人との食事に顔も出さないなんて、後でしっかり躾けておかないとね。そんなことより、遠慮しないでどんどん食べてよ」

私がハンクさんの事をたずねると、オリ君は肩をすくめながらそう答えてくれた。
元から彼は私たちを歓迎していないような様子だったし、スタナと言い争ったことでなおさら顔を出したくないのかもしれない。
そう勝手に解釈して、私は手近にあったロース肉を一口頬張った。

 

はじめこそ緊張したものの、次第にこの雰囲気にも慣れて様々な会話をした。
とくにスタナはルシャさんに気に入られたようで、あれこれと料理やお酒を勧められていた。
さすがにお酒は断っていたようだが、彼もこの食事会を楽しんでいるようだ。
しばらくは料理や会話を楽しんでいたが、連続した仕事と先ほどの大掃除の影響で眠くなってきた私は先に部屋に戻って休むことにした。
スタナも一緒に戻ると言ってくれたが、彼はまだまだ話足りない様子だったので「一人でも大丈夫」と言って大広間を後にした。


部屋に戻る途中で、ふと大階段に飾ってあった絵画に目がとまった。
その絵画の中では、両手を組んだ二人の女性が背中合わせに天に向かって祈りを捧げていた。
そういえば、幼いころお世話になった孤児院にも似たような絵画があったことを思い出し、どこか懐かしく感じてしばらく絵画を見つめていた。

「よぉ。城主サマの客人が一人、こんなところでな~にやってんだァ?」

私は不意に背後からかけられた声に驚き、振り返りながら2~3歩後ずさった。
振り向いた先には、どこか不敵な笑みを浮かべたハンクさんが立っており、昼間の事を思い出した私はつい身構えてしまう。

「そんな身構えなくたってイイじゃねェか。俺様だって、テメェらを歓迎してんだぜェ?」
「そ、そうだったんですか」
「アァ、せっかく来たんだ。ちょ~っと俺様と遊んでくれよ…ナァ!!」
「きゃあ!?」

彼はそう言いながらいきなり殴りかかって来たため、私はとっさに階段を上って逃げ出した。
そんな私の行動が面白いのか、あの耳に付く笑い声をげながら追いかけてくる。

 

 

 

「こ、来ないで!」
「ただの鬼ごっこだぜェ?ガキでも知ってんだろォ!!」

そう言いながら私が曲がった壁の角を殴り壊し、尚も追いかけてくる。
壁を粉砕するような鬼ごっこなんて聞いたことも無い。
そもそも、壁を粉砕するような危険な行為を遊びだなんて言わない。
立ち止まったら確実に殺されると判断した私は、極力曲がり角などを使ってひたすらに逃げ回る。

「ヒャ~ハハ、どうしたァ!反撃しても良いんだぜェ!?」
「物を壊したり攻撃したりなんて、そんなの鬼ごっこだなんて言わないわ!!」
「るっせェナァ、俺様がルールだ!せいぜい楽しませろォ!!ヒャハハ」

どうやら彼は、全く聞く耳を持たないらしく、これ以上話しかけても無駄だと思った私は、ただひたすらに城内を逃げ回る。
私が扉や壁が壊される音に驚いて叫ぶと、彼はまるで猫がまだ息のあるネズミを虐めて楽しむように、ギリギリのラインで攻撃をしかけてくる。

「ヒャ~ハハ、どこまで逃げンだァ~?」

夢中で逃げ回った私は、自分が今この城のどこを走っているかも分からなくなっていた。
それでも必死に逃げ回り、次の曲がり角を曲がろうとした時に足がもつれてしまい壁にぶつかった。

「いたっ…!?きゃあぁぁぁ~…!!!」

だが、なぜかぶつかった壁は奥に倒れ、私は走っていた勢いのまま壁の奥にあった深い穴に落ちてしまった。
その穴はかなり深いようで、私の身体は重力に従ってどんどん落下していく。
自分の一生はこんな場所で終わるのか、せめて誰か知り合いに看取られて死にたかったなどと思いながら、落下している途中で意識を手放した。
私が最後に見たのは、私が落ちたその場所でつまらなそうな表情をしたハンクさんの姿だった。

 

 

 


「うっ…ここ、どこかしら…?」

私は肩に鈍い痛みを感じて目を覚ました。
辺りには一切明かりが無くて何も見えないが、風が吹き込む音もしなければ月明りも入らない空間ということは、おそらく地下室だろう。
どうやら大量の乾燥した植物の上に落ちたらしく、痛みはあれど大したケガはしていないようだ。
しかし、この城に着いてから二度も襲撃を受け、挙句の果てにはトラップに引っかかって肩を負傷するなんて。
世界に生命を創り出した二人の女神様の恨みを買うようなことをした覚えなんてないのに、この仕打ちはあんまりだと大きなため息がこぼれる。

とにかく今はスタナのところに戻りたい、彼の顔を見て安心したい。
そう思いながら立ち上がろうとした時、不意に誰かがこちらに近づいてくる気配を感じ、慌てて枯草をかぶって息をひそめた。
しばらくすると扉が開いたような物音が聞こえ、一人分の足音が静かに一定のリズムを刻みながらゆっくり近づいてくる。

(もしこの足音がハンクさんだとしたら…嫌だ、まだ死にたくない…!)

止まらない身体の震えを無理やりこらえるが、足音は迷わずにこちらへと近づき、私のすぐ横でとまった。
もうダメだ、私は助からないと思うと目元に涙が浮かんでくる。
だが次に聞こえた声はハンクさんでもスタナでもない人の声だった。

「フレス、こんなところでなにをしているの」
「え…れ、レオナ…?なんで、レオナがここに」

予想外な人物の声に驚いて枯草の中から顔を出すと、そこにはランプを片手にこちらを見つめるレオナの姿があった。
彼女の話によると、スタナから私が行方不明だと聞いてみんなで探してくれており、私の匂いを嗅ぎつけたレオナがわざわざ迎えに来てくれたらしい。

 

スタナだけでなくレオナたちも探してくれていた事を知った私は、今まで喉につかえていたものを吐き出すように大きく息を吐いた。

「よかった…私、てっきり誰にも見つからないような場所で、ハンクさんに殺されるのかと…あっ!」
「それでこんなところにいたのね。私もよく追いかけまわされるから嫌いだわ。オリ以外の吸血鬼はみんな自分勝手だから、気を許さない方が良いわよ」

ひとりではなくなった安心感からつい本音を口にしてしまい彼女を怒らせたかと思ったが、彼女もハンクさんの被害にあっていたようで同意と共に忠告までされた。
書物や話には聞いていたが、どうやら多少の例外はあれど吸血鬼と獣人系の魔物は仲が悪いという話は本当らしい。
彼女も同じ境遇を味わっていた事に親近感を感じ、ひとり感傷にひたっていたが「はやく戻るわよ」と言って先に歩いて行くレオナに気付き、急いで後を追いかける。
その頃にはもう、肩の痛みは無くなっていた。
その後おおよそ二階分ほど階段を上ると、やっと窓がある通路に出ることができた。
窓の外では雨が降っており、地表を薄く覆うほどの水量がバサバサと降り注いでいた。
そんな外の様子を見ていた時、私はふと思ったことを口にした。

「ねぇレオナ、今いる場所は一階よね」
「見た通りよ。それがどうかしたの」
「私、少なくとも二階以上の高さから落ちたのに、大したケガもしていないなって思って」
「だから通路自体にはフレスの匂いがついていなかったのね。人間ってもう少し脆いと思ってたけど、意外と頑丈なのね」
「私も、落ち着いて考えたら今自分が生きている事に驚いてるわ。スタナもかなり丈夫だから、妹の私も少しは頑丈なのかも」

かなりの高さから落下したのは自分でも分かってはいた。
だが、いくら枯草がクッションになったとはいえあれだけの高さから落ちて軽い打ち身程度で済んだことには、本当に驚いている。

 

帰ったら、兄妹そろって丈夫な身体に産んでくれた両親に感謝の祈りでも捧げよう。
そんなことを胸に決めた時、ふとレオナが足を止めて鼻をスンスンと鳴らして周りを気にしだし、つられて私も足を止めた。

「レオナ、どうしたの」
「スタナが近くにいるわ」
「本当に!?」

どうやら私を見つけてくれた時と同じように今度はスタナの匂いを嗅ぎつけたらしい。
その言葉を聞いて居ても立っても居られなくなった私は即座にスタナのもとへ案内を頼み、彼女も軽く頷いて先導してくれた。
それからもう一階上に上がって道なりに進んでいくと、黄色がかった金髪と紫色のローブが角を曲がって行くのが見えた。

「あっ、スタナ、待って!」

あれは間違いなくスタナだと一目で確信した私は、気付いたら駆け出して彼のローブの裾を掴んでいた。
ローブを掴まれたスタナはゆっくりとこちらへ振り返る。
私と目が合ったスタナは目を丸くした後、私の手や肩を勢いよく掴んで「無事なのか」とか「何処に行ってたんだ」などとまくし立てるように心配しだす…そう思っていた。
だが、こちらを振り返ったスタナはまるで蔑むように私を見下ろし、言葉もなく睨みつけてきた。
あそこまで冷たい顔をしたスタナは見たことがなくて、私はおずおずと彼のローブから手を放した。
私がスタナから異様な空気を感じて後ずさると、彼もゆっくりこちらに近づいてくる。

「スタナ、どうしたの?そりゃ、ものすごく心配させちゃったとは思ってる、けど…」

怒鳴られたり、勢い任せで長々と説教されるならば分かる。
だが、なぜ軽蔑したような態度を向けられているのか全く分からなかった。
目の前にいる彼がまるで別人のようで恐ろしく感じたが、何とか言葉を紡ごうとしたその時…

 


「フレス!危ない!!」

後から追いついたレオナが私に話しかけてきたその瞬間、いきなり抜刀したスタナが私に切りかかって来たのだ。
私は真っ先に異変を察知したレオナに突き飛ばされて無事だったが、私をかばったレオナは避けきれずに肩を切られてしまった。
誰かと口論になってつい手が出てしまうことはあっても、いきなり切りかかってくるような人では無いというのに、いったいどうしてしまったのか。

「スタナ、なんでこんなことするの!」
「ダメよフレス!」

私は困惑しながらも声を張ってスタナに問いかけたが返事は無く、まるで魔物でも倒す勢いで再び襲い掛かってくる。
やむなくレオナに手を引かれてスタナから逃げだし、角を曲がってすぐの部屋に逃げ込んで息をひそめた。
扉の向こうからスタナが走ってくる足音が近づいてきたが、私たちがいる部屋の前で足音は止まり、今度はゆっくりと遠ざかっていく。
どうやら私たちを見失ったらしく、それを確認したレオナがホッと息をはく。
私の方は、私がはぐれている間彼に何があったのか全く分からず、つい自分を責めるような事ばかりが頭をよぎっていた。

「なんでスタナが私たちを襲って来るの…急に居なくなって、愛想をつかされたのかな…」
「それはきっと違うわ。あれは多分、操られてる」
「操られてる?」

とても優しくて頼もしかった兄の変貌ぶりを受け入れられず、つい弱音を口にした私だったが、思わぬレオナの発言につい聞き返していた。
「操られてる」とはどういうことなのだろう。

 


「逃げる時、スタナの首に吸血鬼に噛まれた跡があったわ。吸血鬼には、血を吸った相手を操る能力があるの。オリはこんなこと絶対しないし、ルシャもオリの言いつけを無視したりしないから、きっとこれもハンクのせいよ」
「それで昼間襲われたとき、スタナは私がハンクさんに噛まれていないか気にしてたんだ。なにか、いつも通りのスタナに戻す方法はないの?」
「私には無理だけど、オリなら…」

私がレオナの話に聞き入っていると、彼女の話を遮るように扉が蹴り開けられてスタナが入って来たため、お互い部屋の反対隅の方に離れる。
するとスタナは、レオナの方には目もくれないで私に襲い掛かって来た。
どうやら彼の狙いは私のようだ。
そうと分かると、私はレオナに向かって声を張りあげた。

「レオナ、オリ君がなんとかできるなら彼を呼んできて!お願い!!」

私がそう叫ぶと、彼女は大きく頷いて部屋から走り去っていった。
レオナが部屋から飛び出して行っても、スタナは目線すらそらさずに私に襲い掛かり剣を振るって来る。
その薙ぎ払いを一気に姿勢を落として何とかかわした私は、レオナが走って行ったのとは反対の通路に向かって全速力で駆け出した。

「やめてスタナ、正気に戻って!」

武器も持っていない丸腰の状態でも皮1枚でなんとか彼の攻撃をかわして逃げつつ、一縷の望みをかけて何度も叫んだ。
だが、何度叫んでも今のスタナには届いてくれないようで、虚ろな瞳のまま全く攻撃の手を緩めてくれない。
そのうち狭い袋小路に追い詰められ、振り返って逃げようとしたところでスタナに首を掴まれて壁に押し付けられてしまった。

「スタナ、やめて…」

首に添えられた左手に力がこめられ息もままならない中、振り絞るように声を出すが、やはり彼には届いてくれず、右手に握られた剣が私の首に狙いを定めて一気に突き立てられた。

 

だが、その切っ先は私の首をかすめて後ろの壁に突き刺さった。
するとスタナの口から呻くような声が漏れ、首にかけられた左手から徐々に力が抜けていく。

「…フレス…にげ、ろ…」
「スタナ…!」
「…来るな!!」

苦しそうに息を詰まらせ「逃げろ」と呟きながら左手を離したスタナは、ふらつきながら一歩さがると、今度は支えを欲するように両手で剣の柄を握りしめる。
苦しそうにゆっくり崩れるスタナを見た私は、とっさに彼を抱きとめようと近づいたが、彼に突き飛ばされてまた壁との間に抑え込まれてしまった。
どうやら何とか正気は取り戻したが、まだ肉体は半分操られたままのようで、苦しみながら腰に付けた短剣に手を掛けてカタカタと鳴らしていた。

〈血の盟約に縛られし者よ、いま解き放たん〉

私が、何とか彼の苦しみを和らげられないかとその頬に手を触れた時、スタナの背後から低くく透き通る声が響いてきた。
すると、まるで糸が切れたかのようにスタナが倒れこんできたため、慌ててその身体を抱きとめる。
そのすぐ背後には、右手をこちらにかざしているオリ君と、少し息を切らしたレオナが立っていた。

「間に合って良かったわ」
「レオナから大方の話は聞いたよ、二人ともハンクに追い回されたり操られたりして大変だったね。スタナさんに掛かってた呪いは僕が完全に解いたから、もう大丈夫だよ」

そう言いながらオリ君はにっこりと笑う。
話しかけられた私の方は、今さっき起こった事態を理解する事に頭がいっぱいで、何も言えないままオリ君の顔を見つめることしか出来なかった。

 

 

 

「それにしても、あのハンクに操られてたのに自力で自我を取り戻して抗うなんて驚いたよ。大抵は自分の感情を表に出すことすら出来なくなるんだけど…」
「…あのヤロウ…洗脳しただけじゃなく、俺にフレス襲わせやがって…!」
「スタナ!良かった、気が付いて」

こちらの様子をしっかりと目視したオリ君が続け様に感嘆の言葉を口にしていると、先ほどまで意識を飛ばしていたスタナが目を覚まして力なく愚痴をこぼした。
すると、彼の声を聴いたオリ君とレオナは目を見開いてスタナに視線を向ける。
その場の視線を一気に集めたスタナは、私の肩に手をかけて立ち上がろうとするが、膝を立てる事すらできないくらいふらついていたため、私のすぐ隣の壁にもたれ掛かるように座らせた。

「スタナさん、もう意識が戻ったのかい?普通、呪いを解いてもまる一日くらいは昏睡するんだけど…人間の意志の力は侮れないね。でも立つことすら出来ないみたいだし、フレスさんもハンクと操られたスタナさんに追い回されて疲れてるでしょ。二人とも部屋でゆっくり休んだ方が良いよ」

そう言ってレオナの方を向いたオリ君が軽く私たちの方に頭を振ると、それだけで彼の意図を理解したレオナが手を貸してくれた。

 

そして共にスタナを両脇から支えて歩き出そうとしたその時、通路の向こうからカツカツというヒールの音と共にルシャさんが姿を現した。

「オリ、言われた通りハンクを捕まえたわ」
「ありがとう。まったく、本当に戦うしか能のない駄犬にはしっかり仕置きしないとね」

そう言ってオリ君がルシャさんが曲がって来た通路に消えて行くと、途端に大きな破壊音が響いた。

「な、なに、今の音」
「壁が何枚も吹っ飛んだみたいな音したぞ…」
「ふふふ。大丈夫、オリがハンクを躾けてるだけよ。気にせず二人はおやすみなさい」

私とスタナが恐る恐る疑問の言葉を口にすると、あの妖艶な笑みを浮かべて人差し指を軽く頬に当てながらルシャさんが平然と答えてくれた。
そして、私たちに休むようにと一言付け加えてオリ君の後を追ってゆっくりと去って行ってしまい、私たちもレオナの手を借りて部屋に戻った。
やはりスタナは相当疲れていたようで、私の心配をしながらもベッドに身体を預けるとすぐに寝息を立てて眠ってしまった。
一方私は不安が勝って全く眠れず、翌日家に帰るなりすぐに眠ってしまった。

 

その翌朝に目を覚ましたらぼろ泣きしたスタナに勢いよく飛び疲れてベッドから転げ落ちたのはここだけの話。