あれから僕は、得体の知れない薬品を飲まされたり首に変な機械を刺して付けられたりして、僕の中に眠る魔力を抽出する実験をいくつも受けていた。
そのうち〈博士〉も僕が逃げないで実験に協力する事が分かったみたいで、実験をしていない時だけ僕が部屋の中を自由に見る事を許してくれた。
それからは〈博士〉が過去にやってきた実験記録なんかを読めて、毎日がもっと楽しくなった。
そのうち〈博士〉は、僕以外の生き物も並行して実験するからと言って僕を檻に入れるようになった。
だけど、檻の周りに質の良い遮光レースをかけて僕にも実験の様子が見れるようにしてくれたから、僕は毎日が楽しかった。
そんなある日、〈アイツ〉はやって来た。
「いやっ!離して!!」
「生きが良いのはけっこうですが、もう少し協力的になってください」
「いや…!痛い!イヤイヤイヤ!!」
「…う〜、うるさいなぁ」
ある日僕が目覚めると、珍しく実験台の上に魔物以外の生き物が括り付けられていた。
見るからにソイツは〈人間〉で、頑なに目を閉じながら「痛い、嫌だ」と喚き散らしてる。
「おや、キミも起きましたか」
「ソイツ、なに?」
「平たく言えば〈キミと同じ〉ものですよ」
「僕と同じって…まさかっ」
そう、ソイツは〈僕と同じ体質〉という事で〈博士〉に買われた人間だった。
それから〈博士〉は、僕から魔力を抽出する以外はソイツで実験をするようになった。
多分普通なら、僕が受けるはずだった実験をソイツが受けるから、安全な場所で実験を見れて良いと思うだろう。
でも、僕はそうじゃなかった。
〈博士〉が行う楽しい実験を特等席で見ているはずなのに、何故か僕は心臓を潰されるような感覚を抱いていた。
それからしばらく経ったある日だった。
「ねぇ…ねぇってば!そこの檻にいる君、無視しないでよ!」
「…うるさいなぁ。なんなのさ」
〈博士〉がいなくて薄暗い中、実験台の上に拘束されてるソイツは僕に声を掛けてきた。
それに対して僕は、明らかに嫌そうな態度をとる。
「君、なんでココを自由に動けるのに逃げようとしないの?こんなに怖くて不気味で、酷い事ばかりされるのに…」
「は?」
ソイツは僕にオカシな事を聞いて来た。
なんでこの場所から逃げないのか、だって?
それこそ僕には理解出来なかった。
「意味分かんないんだけど。なんでココから逃げないとならないのさ」
「なんでって…!こんな所にいたって、あの男に良いように使われて殺されるだけじゃない!」
「だから?」
「だからって…君は何とも思わないの!?」
ソイツは命の危険もあると必死に訴えるけど、そんな事はココに連れて来られた日から分かってたし、覚悟も出来てた。
だから僕はさらに冷たく一言だけ返した。
何とも思わないのかと言われたって、何を思うんだろう。
やっぱり僕には、コイツの考えてる事が理解出来ない。
「君、なんでこんな所にいて平気なの?毎日首に変な機械をつけられて、血までダラダラ流してるのに!」
「アンタこそ、なんであの人の実験を拒むわけ?痛いのは分かるけど、あの人はこんなに面白くてスゴい事を次々にやってのけてるのに」
「君、正気で言ってるの!?このままここにいたら、いずれ殺されちゃうのよ!?」
「それこそ本望だろ?僕らは、あの人のスゴい実験の成果になれるんだから」
あれだけうるさく僕に同意を求めたアイツは、僕の意見を聞くと目を見開いて顔を硬らせた。
…あの時、僕を〈化け物〉と言った奴らと同じ顔。
虫唾が走る。
「君、オカシイよ…!私より先にここに来てて、脳みそでも弄られたの!?」
「僕はここに来た時からこうだよ。それに、オカシイのはアンタの方だろ?なんであの人の研究のスゴさが分かんないの?」
「そんな事ない!オカシイのは君の方だよ!!」
「おやおや、珍しく騒がしいですねぇ」
「きゃあ!?」
僕らが言い争いをしていたら、いつの間にか入り口に〈博士〉が立っていた。
普段なら来てすぐ明かりを点けるのに、何故か今日の〈博士〉は明かりも点けずに僕の方へと近寄って来る。
「すみませんが、今日はいくらキミでも実験風景を見せる訳にはいかないので、暗幕で覆わせてもらいます」
「えっ、なんで?」
「なんでも、です」
「待ってよ、僕にもアンタの研究を見せてよ!今までだって見せてくれたじゃんか!?ねぇ!!」
今日の〈博士〉は、なんだか変だ。
いつもは見せ付けるように実験を披露するのに、今日は全く見せてくれないし内容も教えてくれない。
それがとてつもなく不安で怖くなった僕は、必死に実験を見せてもらえるよう頼み込んだ。
だけど〈博士〉はそれ以上何も言わないで僕が入ってる檻に光1つ入らないよう暗幕を掛けて、そう易々と暗幕を外せないようにしっかりと固定してしまう。
それ以降も、どんなに僕が声を張り上げても〈博士〉は返事をしてくれなかった。
結局僕はあの人の実験を見せてはもらえなかった。
ただずっと真っ暗闇の檻の中で、いつもより酷いアイツの悲鳴を聴きながら、ただひたすら待つ事しか出来なかった。
途中からアイツの声が変な感じになっていってたけど、そんな事よりも言い表せないようなモヤモヤとした感覚に耐える事に僕は必死になっていた。
あれから、どのくらい時間が経ったんだろう。
気が付けば部屋の中はかなり静かになっていた。
「…キミ、起きていますか?」
「っ!」
その時、暗幕を少しだけずらして久しぶりに〈博士〉が僕に声を掛けてくれた。
それにすぐ反応した僕は、飛び起きるように身体を起こして〈博士〉の顔をしっかりと見つめる。
「起きていましたね」
「…うん、起きてる」
「お待たせしました、やっと出来ましたよ。ほら、ご覧なさい」
僕が起きている事を確認した〈博士〉は何かをやり切ったというような表情でそう言うと、今まで檻に掛けていた暗幕を一気に剥ぎ取って実験台の上を見るよう言ってきた。
久々に見た実験台の上にアイツは居なくて。
代わりにそこにいたのは、僕の知らない歪な頭が2つある魔物だった。
「どうです、感想は?」
「感想って言われても…なに、アレ?」
「ふむ。流石にキミでも、何の説明も無しでは分かりませんか」
〈博士〉はあの歪な魔物の感想を僕に求めるけど、全く状況が分からない僕は〈博士〉に説明を求めた。
「キミは、合成獣〈キメラ〉とも呼ばれるモノを知っていますか?」
「アレでしょ。違う生き物を細胞レベルで切り貼りして出来るってヤツで、掛け合わせたヤツらの良いとこ取り性能になるとかっていう…」
「知識はありましたか。その通りです。そしてコレは〈人間〉と魔物のキメラです」
「っ!その人間って…!」
「えぇ、キミの後にここへ来たあの子です」
「〜…!!!」
〈博士〉の話だと、アレはアイツと魔物が掛け合わさった生き物らしい。
それを〈博士〉は嬉しそうに自慢するように僕に見せて来たのだ。
いつもなら僕も、すごい凄いと心を躍らせるくらいの〈博士〉の超大作。
だけど、今の僕にはそう素直に喜べなかった。
むしろ、暗い感情が沸々と湧き上がってくる。
「どうです?キミが見たがっていた私の研究成果ですよ」
「そう、だね…すごいよ。すごい、けど…!」
「どうかしましたか?」
僕の様子が以前と違う事に気付いた〈博士〉は、檻の外から僕の顔を覗き込んでくる。
まるで、僕の事なんて何も分かってないみたいに。
いや、実際は分かるはずもないんだろうけど。
その行動が僕の理性に引っかかって切れてしまい、僕は衝動に任せて〈博士〉の白衣の下に入っていたネクタイを引っ掴んで叫んだ。
「なんで!なんでアイツを使ったのさ!?」
「おや、てっきり仲が悪いと思っていましが。違いましたか」
「そうじゃない!あんなヤツ死のうがどうだって良いよ!だけど、なんでアンタの傑作にアイツを使ったんだよ!!」
「どの材料をいつ使うかは、私の勝手でしょう。何が言いたいんですか」
勢い任せにぶつけた僕の言葉は、案の定〈博士〉には分かってもらえてなかった。
それどころか、自分の研究に異を唱えられたと思われたみたいで、〈博士〉の目付きは次第に鋭く冷たくなっていく。
「ワガママばかり言う者は嫌いですよ。キミはもう少し〈マトモ〉だと思っていたのですがねぇ」
「そうだよ。どうせ僕は〈マトモ〉なんかじゃないだろうさ!本当なら、僕がああなってたのに…アイツじゃなくて、僕がアンタの最高傑作になってたハズなのに!!お払い箱になるのは、僕じゃなくてアイツだと思ってたのに!!」
「っ!…なるほど、そういう意味合いでしたか」
僕はもうヤケになっていて、アイツが来てからずっと抱いていた不安や嫉妬の原因をぶち撒けた。
それが〈博士〉には意外だったのか、さっきまで〈博士〉から出ていた殺気にも似た空気が和らいで、いつの間にか口調も普段の調子になっていた。
「言っておきますがアレは〈現段階での傑作〉ではありますが、〈私の求める最高傑作〉ではありませんよ」
「…どういう事?」
僕の想いを理解した博士は、珍しく僕に優しく言い聞かせるようにそう言ってきた。
今度は僕がその言葉の意味を理解出来なくて、少しふて腐れたような態度で説明を求めた。
「今までの私の研究では、そもそも人間と魔物を掛け合わせても5分と経たずに死滅していました」
「…それは、読んだ」
「ですから、掛け合わせてからこれだけ長く生きたキメラという意味では〈現段階での傑作〉と言えるでしょうが…アレも、そう長くは保ちません」
「長く保たないって、アレも結局はすぐ死滅するの?」
「えぇ。アレの、下の顔をよくご覧なさい」
僕は〈博士〉に言われるまま、キメラの胸の辺りにある方の顔をジッと見つめてみた。
よく見ると、アレはアイツの顔で…
1番初めに見た時より、肉が溶けてグズグズになっていた。
「…あれ、腐ってるの?」
「そうです。有り余る魔力を上手く繋げば、腐敗は治るのではないかと踏んで実験してみました。結果、おおよその考えとしてはそこまで間違ってはいませんでしたが、腐敗を遅らせるに留まってしまった。そういう意味では、あれもまた失敗作です」
「じゃあ…」
「えぇ、あれはまだ〈私の最高傑作〉ではありません。そして、私の研究には、まだまだキミが必要です」
ここまで説明されて、やっと僕はこの人の言ってる事が分かった。
コレは、成果はあったけど完全なんかじゃ無かったんだ。
そしてアイツは、失敗のリスクが高い実験に捨て駒として使われたんだ。
だから、この人に選ばれていたのは…
「僕の方が…アンタの傑作の材料に相応しかった、て事?」
「そういう事になりますね」
「じゃあ…!」
「ですが、しばらくキミでの実験は止めておきましょう」
「えぇ〜、なんで!?」
またいろんな実験を見たり手伝えると思ったのに、僕の実験は止めようなんてあんまりだ。
この人、これだけ僕を持ち上げておいて一気に落とすなんて。
人を振り回す才覚高すぎるでしょ。
「キミがどうしても今すぐ私の実験体になりたいと言うなら再開しますが…それより、私の助手として研究に携わってみる気はありませんか?」
「それって…僕も〈研究する側〉に入れてくれるってこと!?」
「それ以外にありますか?」
これには、僕も我を忘れて歓喜した。
〈博士〉が持ち掛けた提案は、あの人の最高傑作になるよりもずっと望んでいた、絶対に叶わないとも思っていた事だった。
まさか、この人と一緒に研究する側として実験に参加させてもらえるなんて、まるで夢のような話だった。
「本当に、本当に僕もアンタの研究に混ぜてくれるの!?」
「そうです。ですが、そのためには幾つかの課題をキミ自身でクリアしなければなりませんよ」
「課題って、どんな?」
どうやら僕が〈博士〉と一緒に研究をするには、いくつか課題があるらしい。
こんな面白そうな事をする為ならどんな課題でもやってやろうと思う。
だけど、課題が何なのかが分からなければ出来るかも分からないから、僕は〈博士〉に課題の詳細を聞いた。
「まずは、ここの外。表で定期的に行われている〈アルメリス教団・科学調査研究部入団試験〉に合格してもらわなければなりませんねぇ」
「ちょっと待って。アンタ、あのアルメリス教の研究員だったの!?」
「おや、言ってませんでしたか」
「アンタ、僕の前でやった研究内容以外で自分の事なんか何一つ言ってなかったよ」
説明を聞いていた僕は、この人があの〈ムダに正義を振りかざす〉アルメリス教団の研究者だった事に驚いて〈博士〉の顔を2度見した。
僕が言うのもなんだけど、こんなマッドサイエンティストがアルメリス教団にいて良いのかな。
とうの〈博士〉はニコニコ笑ってるけど、おそらくこの人の裏の顔しか知らない僕には場違いとしか思えないんだけど。
「おや、そうでしたか。それはさておき、まずはその試験に合格できなければ話になりません。必要な資料等は後で持って来てあげますから、しっかり勉強してくださいね」
「つまり、その入団試験にトップで合格すれば問題ないね」
「ずいぶんと強気ですねぇ。まぁ、キミの頭脳ならそう難しい事はないでしょう。むしろ問題は、キミの体質と試験合格後です」
「どういう事?」
どうやら〈博士〉は、僕の頭脳に関してはさほど問題視してないらしい。
むしろ僕の問題は〈体質〉と〈合格後〉らしいけど…
体質は多分極端に日光に弱い事だと思うけど、試験後の心配ってなんなんだろう。
「キミの体質に関しては試験までに私が何とかするので、キミがどうこうする事ではありませんが…おそらくキミの1番の課題は、試験合格後の合同試用期間でしょう」
「その合同試用期間って、何するのさ?」
「試験合格後からひと月の間、私以外の研究者と共に研究を行うというものですよ。表向きは新人の特性を見極めて配属先を決める為の様子見期間ですが、稀に適応外と見なされたり不穏分子として処分される事もあります」
「それ、大問題じゃん!」
これは確かに、試験後の方が大問題かもしれない。
ただでさえ僕は〈人間として〉他人とマトモに付き合いを持った事すら無いのに、おそらく僕から見たら理解できない変な奴らの常識に合わせなきゃならないなんて…
しかも、多分僕が見て来た〈博士の研究〉は〈絶対に表に出てはならない〉部類の研究だ。
少なくとも、僕が図書館で読んだ本には〈人間を素材として使った実験〉は全て悪行のように書かれていた。
だからその片鱗を見せようものなら、きっと僕はあの人の材料にもなれずに処分されると思う。
それだけは絶対に嫌だ。
「ですので、試験勉強と並行して一般常識も頭に叩き込んでおいてくださいね」
「カンタンに言ってくれるけど、そもそも僕には〈何が常識でなにが非常識か〉もよく分からないんだけど…」
「その辺りは私も協力しますよ。ここでキミが処分対象にでもなったら、全てが水の泡ですからね」
「…分かった。アンタがわざわざ手伝ってくれるなら、僕もしっかりやらないとね」
「そうですね。少なからず、キミには期待して投資をするのですから、それなりの成果は出してくださいね」
「分かってるよ」
僕は不穏分子として処分されるかもしれない事がとてつもなく不安だったけど、そこは〈博士〉も協力してくれるみたいだ。
表と裏、両方の研究で忙しいあの人が僕のために貴重な時間を割いてくれるなら、僕も頑張らないといけないなぁ。
こうして僕は、博士の手を借りながら教団の入団試験に備えて猛勉強する事になった。
と言っても、あの人が試験対策に持って来た資料の大半を既に僕は読破して暗記していたから、試験勉強よりも表での常識の勉強がメインだったけど。
それから〈博士〉は、薄暗い日を選んで僕を表の世界に連れ出すようになった。
曰く、文字だけじゃなく実際の〈他人〉の動きや反応を見て学んだ方が効率的って事らしい。
まぁ、百聞は一見にしかずとか言うから、分からなくもない。
そんな事をしているうちに、あっという間に時間は経って、試験の応募期間が迫って来ていた。
「キミ、ちょっと良いですか?」
「なに?」
「キミの受験資料を作っていたのですが、キミの名前が必要でしてね。キミの名前を教えてもらいたいのですよ」
「え、名前…?」
どうやら試験を受けるには〈名前〉が必要らしい。
普通ならなんの問題も無い。
けど、僕の場合はそうじゃなかった。
「僕の名前…って、なんなんだろう?今まで1度も呼ばれた事無かったから、気にもしてなかったや」
「おや、まさかの名無し君でしたか」
正直、親の声もロクに覚えてないくらい〈人〉と関わりのない生活を送ってきたから、〈名前〉なんて分からなかったし必要もなかった。
だから〈名前が無い〉という重大さも、その時の僕はよく分からなかった。
「その〈名前〉って、そんなに大事なの?」
「そうですね。通常なら多くの人間と関わりを持って生活をするので、個を識別すると言う意味では本来必要不可欠なものなのですが…」
「まさか、それが無いと僕はアンタと一緒に研究出来ないとか言わないよね!?」
今になって事の重大さに気付いた僕は、慌てて縋るように〈博士〉の元へと近づいた。
〈博士〉も、まさか僕に名前が無いなんて思ってもいなかったのか、珍しく口元に手を当てて考えこむような素振りをしている。
そんな〈博士〉の仕草から、僕は本当に大変な事なんだとやっと理解した。
だけど〈博士〉はすぐに顔を上げて「あぁ」と一言呟くといつもの笑みを浮かべた。
「どうせキミには戸籍などの情報もありませんでしたし、今から付けてしまいましょう」
「えっ?」
「という事で、キミは今日から〈クリーフ〉と名乗りなさい。確かキミのいた家の表札には〈レイジェニア〉とあったので、〈クリーフ=レイジェニア〉で良いでしょう」
「えっ、〈名前〉って、そんな簡単に付けられるもんなの!?」
「既にある者に新たな名前を付けるには面倒な手続きが必要ですが、孤児などの特別な例の場合は比較的簡単です。実際に、キミには今まで名前など無かったのでしょう?」
「まぁ、そうだけど…」
なんと〈博士〉は、無いならすぐに作れば良いとばかりに、すぐさま僕に新しい〈名前〉をくれた。
これに僕はものすごく驚いたけど、それ以上に何故か胸が高鳴っていた。
「〈クリーフ〉とは、大昔に実在した研究者の名なのですが、お気に召しませんか?」
「いや、正直なんでも良いけど…これ、もしかしなくても〈博士〉から初めて貰ったもの、だよね」
「そういえばそうなりますかねぇ」
「初めてだ。誰かから何かを貰うなんて…!」
「ずいぶんと嬉しそうですねぇ」
そうだ、僕はこの人から名前という〈最も大事なもの〉を貰ったんだ。
僕の人生で初めての、それでいて最も大事なものを、僕が命すらも捧げるあの人から貰ったんだ。
僕は、その事がとてつもなく嬉しかったんだ。
「〈クリーフ〉か…!そういえば、アンタの名前は?」
「私ですか?そうですねぇ…今はまだ、秘密という事にしておきましょう」
「なんでさぁ!?」
「キミが研究者として私の元まで来れなければ、私の名など知る必要はありませんからね」
「じゃあ試験を突破して試用期間も終わったら、その時は教えてくれる?」
「そうですね。そうなれば必要にもなりますから、無事私の元に配属されたら教えてあげましょう」
「言ったね!言質とったから、その時は絶対教えてよね!」
「はいはい」
自分の名前ができた事で、僕はこの人の名前も聞いた事が無かった事に気付いたから聞いてみた。
だけど〈博士〉は、まるで勿体ぶるように教えてくれず、僕がこの人の元で働く日が来るまで秘密だと言われた。
たったそれだけの事なのに、僕はこの人の名前が知りたいがために俄然やる気を出し、再び試験に備えて勉強を始めた。
それからさらに数日が経って、僕が試験を受ける日がやって来た。
その日は恐ろしいくらい強い日差しが差し込む晴天で、目や皮膚を痛めるかと思ったけど、事前に〈博士〉が打ってくれた〈特別な薬〉のおかげで難無く試験を終える事ができた。
翌日に行われた結果発見では、自分の宣言通りに他の奴らを大きく引き離してトップ成績で合格を勝ち取った。
その後の試用期間も、極力他の新人や先輩研究者と話をしないようやり過ごして、なんとか正式な配属先を発見される日までやってきた。
聞いた話だと、新人が研究グループに所属するにはグループリーダーからの指名が無ければ入れないらしい。
そういえば、あの人のグループリーダーって誰だろう…?
「…いよいよだな…」
「俺、先輩たちにめっちゃ褒められてたし、あのコリンシア博士の研究グループにはいれたりしてな!」
「バカじゃないの?コリンシア博士は今まで新人なんて入れ事無いんだから、無理に決まってるじゃない」
ーーそれでは、春季合格者の配属式を行いますーー
会場に居合わせた僕の同期たちの大半は、自分こそリーダー指名を受けるのだと口々に話し合っている。
中でも〈コリンシア博士〉とか言う人のチームに行きたいと言うヤツが多いけど、その〈コリンシア博士〉って博士とあの人だったら、どっちがすごいんだろう。
そんな事を考えていると、配属式と言う名の新人選別会が始まるアナウンスが会場に響き渡った。
それを聞いた同期たちは慌てて指定された席に座り、それまで騒がしかった会場が一気に静まり返った。
ーー初めに、各研究室室長、並びに研究員育成室室長の入場ですーー
「うわ、見ろよ…コリンシア博士が来てる…!」
「本当だ…普段はこんな式典なんかには来ないくらい忙しいって噂なのに…」
「…て事は、今回は誰かコリンシア博士に引き抜かれるのか…!?」
ーー皆様、ご静粛願いますーー
司会のアナウンスで室長クラスのヤツらがズラズラと入って来ると、その途中で会場内が響めいた。
どうやら周りが噂していた〈コリンシア博士〉とか言うヤツがあの中にいたみたいだ。
ちょうど響めきが起きた辺りであの人と年配そうなオッサンが会場に入ってきたけど、あのオッサンが〈コリンシア博士〉かな?
しばらくするとあの人を含む室長たちが、用意された椅子に全員腰掛けて、再び司会のアナウンスが鳴り響いた。
ーーそれでは、各研究室室長による新人研究員の指名選抜を…ーー
「少々よろしいですか?」
新人選抜の開始を告げるアナウンスが流れる中、それを遮るように意見を割り込んで来たヤツがいた。
それは、まさかのあの人だった。
急な出来事に会場はまたざわめき出して、司会の人もしどろもどろになっていた。
あの人はそんな事など全く気にも留めないで、司会からマイクを取り上げる。
あの人、絶対研究する時間が欲しいからサッサと引き抜くヤツを引き抜いて研究室に戻りたいんだろうなぁ。
「せっかくの式典の最中に申し訳ありません。ですが、次の研究まであまり時間が取れないので、先に指名させて頂きたいのですが、よろしいですか?」
「おや、まさか君が欲しがるような逸材がいたのですかな?まぁ君は滅多に研究員を引き抜かないので、2.3人くらいなら良いでしょう。どうですかな、皆さん」
やっぱりと言うか、あの人らしいと言うか。
見事に僕の予想は的中して、あの人は自分だけサッサと選抜を終えたい考えで司会からマイクを取り上げたんだ。
それを聞いた〈コリンシア博士〉とか言われてたオッサンは、なんだかネチッこそうな言い方であの人の意見を聞き入れると、他の室長たちにも見えない圧で同意させてしまった。
あのオッサン、権力だけはありそうだなぁ。
「ご協力、感謝致します。では〈クリーフ=レイジェニア〉君」
「…え?あ、はい」
「彼はウチの研究室に貰って行きます。後はご自由にどうぞ。では、行きますよ〈クリーフ〉君」
「は〜い」
僕があの人に指名されると、周りのヤツらの視線が一気に僕に集まって、会場が騒がしくなる。
中には明らかに嫉しそうな顔でガンを飛ばして来るヤツらもいたけど、僕はむしろ優越感からその視線さえも気持ちよく思えた。
これだけ会場が騒がしくなっても相変わらずあの人は自分のペースを崩さない。
あの人は僕を引き入れる事を高らかに宣言してから、僕に後を付いてくるよう一言発して、会場内の事などお構いなしに出て行ってしまった。
僕もあの人に習って、会場のヤツらを尻目にあの人の後を追った。
「ここまで来れば、もう邪魔者もいませんね。とりあえず、入団おめでとうございます」
「そりゃどうも。それにしても、あの〈コリンシア〉とか言うオッサン、なんか鼻に付いてイヤなヤツ」
「ん?あぁ、私の後ろにいたあの方ですか」
会場から離れて〈博士〉の研究室に向かう途中、周りに人がいないタイミングを見計らって〈博士〉は僕に祝いの言葉をくれた。
僕はその言葉を自分なりに素直に受け止めると、〈博士〉にちょっと嫌味な言い方で話をしていたオッサンの悪態をついた。
すると〈博士〉は誰の事か少し悩んだ後、僕が言った人物に見当が付いたように頷いた。
「あの方はこのアルメリス教団科学調査研究部の総括者。簡単に言えば、ここの研究者の中で最も偉い地位の方ですよ」
「へぇ〜、だからあんな偉そうで周り全員従わせてたんだ」
「因みに、彼は〈ルーウィン=コリンシア〉ではありませんよ」
「え、違うんだ」
「えぇ。なにしろその名前は、私のものですから」
「へぇ〜…えっ?アンタの事だったの!?」
あのオッサンについて教えてくれた〈博士〉は、そのまま僕の勘違いも指摘する。
その指摘を何気なく聞いてスルーしそうになった僕は、サラリと告げられたとんでもない事実に気が付いて、大袈裟なくらいの反応をしてしまった。
周りが〈鬼才〉だの〈神の頭脳の持ち主〉だのと言って噂になっていた人物って、この人だったんだ。
「そうですよ。しかし、有名なのも困り物ですね。キミの合格祝い代わりに教えるつもりだったというのに、先に知られてしまっているとは」
「いや、逆に十分驚かされたけど…」
〈博士〉は自分から最初に名乗りたかったのか、ちょっとオーバーな反応で残念がってるんだけど。
ここはまだちょっと、この人の考えが分からない。
なんの情報も無くこの人の名前を聞くより、何百年に1人の逸材だの神の生まれ変わりだのって噂を知った後の方が絶対インパクトあるでしょ。
しかも、表ではこんなに人気がある〈博士〉が、裏では人間すらも研究材料にしちゃうようなマッドサイエンティストとか。
もう一周回って面白くなってくる。
でもそんな事より、やっとここまで来たんだ…!
「ねぇ、それより早く研究を手伝わせてよ、ルーウィンさん」
「おや、キミがさん付けで呼ぶとは。明日は荒れますかねぇ」
「うわ〜、ひっど。アンタは僕が唯一マトモに尊敬できる人だと思ったから〈ルーウィンさん〉って言ったのに」
「はっはっは、それは分かっていますよ。ですから、そんなにムクれないでください。可愛い顔が台無しですよ?」
「いくらルーウィンさんでも、可愛いは嬉しくない。お詫びに早く研究に混ぜてよ〜」
「キミはブレませんねぇ。それでこそキミを推薦した甲斐があります。では、まずは防衛設備の改良研究を終わらせてしまいましょう。それが終わったら、キミが楽しみにしている実験ですよ」
「やったね!ルーウィンさんの作った防衛設備だと、〈フェアン〉?いや、それよりも〈ゲデュム〉の探知性とか?まぁ、どっちでも良いや。早くやろう、ルーウィンさん」
「やる気満々ですねぇ。そう急がなくても、研究は逃げたりしませんよ」
僕が早く研究をやりたいと騒ぎ立てると、〈博士〉もといルーウィンさんはクスクスと笑いながら、ほんの少し歩調を速めて研究室へ向かった。
これから僕は、この〈生きた神様〉と一緒に、世界を驚かす様な研究をするんだ。
研究室に着いて初めて知った事だけど、どうやらルーウィンさんは今まで自分から相方や共同研究者を持った事は無かったらしい。
理由は、ルーウィンさんの頭脳に付いて来れるようなヤツがいなかった事と、僕が連れてこられた〈裏研究室〉を知られないため。
つまり僕は、〈神様〉に選ばれた〈天使〉みたいな感じなわけだ。
そしていつか、僕はルーウィンさんの最高傑作にしてもらうんだ。
そのために、精一杯ルーウィンさんの研究を手伝う。
…だからね、ルーウィンさん。
僕が要らなくなったその時は、ちゃんと僕を〈使って〉よね。
ー終わりー
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